空白の保証人欄
古賀灯里は、賃貸申込書の保証人欄だけを空白にしていた。
不動産会社からは、二つの方法を示されている。誰かに保証人を頼むか、家賃保証会社を利用するか。保証会社なら、初回に家賃の半月分、その後も毎年手数料がかかる。
灯里には、電話をかければ署名してくれそうな人が一人いた。五年連絡を取っていない伯母だった。昔から困ったときだけ助けを求め、助けたことを何年も覚えている人だ。住所を知らせれば、季節ごとに荷物が届き、返事が遅いと心配という名の電話が来るだろう。
新しい部屋は、今より少しだけ広い。南向きの窓辺に机を置ける。二十九歳の誕生日を前に、ようやく見つけた「長く住みたい」と思える場所だった。
保証料を払えば、欲しかった椅子は買えなくなる。伯母に頼めば、費用はかからない。申込期限は今日までだった。
灯里はスマートフォンの連絡先を開き、伯母の名前と、保証会社の番号を並べた。人に頼ることを拒んでいるだけではないか、とも思った。自立を気取るためにお金を払うのは、意地かもしれない。
けれど、頼ったあとにどこまで入ってこられるかを怖がりながら暮らすのも、無料ではない。その費用は請求書に書かれないだけだ。
灯里は不動産会社へ一回だけ電話した。
「保証会社を利用します」
担当者は淡々と金額を読み上げた。灯里はメモし、合計を見て少し息を止めた。安くない。誰にも褒められない出費だった。
申込書の保証人欄には何も書かず、その下の〈保証会社利用〉へ丸をつけた。
灯里は一度、伯母へのメッセージを入力した。〈急で申し訳ないのですが〉まで書き、送らずに消した。助けを求める練習と、境界を手放すことは同じではない。今回は金銭で境界を買う。高い椅子を諦めた部屋で、安い折り畳み椅子に座る自分まで想像した。
折り畳み椅子は、座れば少し軋むだろう。それでも灯里は、誰かの許可ではなく自分の契約で鳴る音を選んだ。
空白は、埋められなかった穴ではない。灯里はその余白ごと、自分の新しい住所へ持っていくことにした。