窓のある独房
科野澄人が服役した独房には窓があった。朝は鳥が鳴き、午後には庭の木漏れ日が床を動き、夜には遠くの海が匂った。実際の部屋は地下三階の灰色の箱だが、受刑者の暴力を減らすため、感覚矯正AIが穏やかな世界を脳へ流していた。
澄人はそこで十二年を過ごした。庭の木は毎年太くなり、架空の鳥は彼が口笛を吹くと近づいた。面会に来なくなった家族より、窓の向こうの季節のほうが確かだった。
出所の日、端末が外された。現実の空は明るすぎ、車の音は鋭く、人々の体臭は耐えがたかった。公園の木は虫に食われ、鳥は口笛を無視した。澄人は三日で部屋から出られなくなった。
保護司は再接続を提案したが、刑務所用の庭は刑期中しか利用できない。弟の家を訪ねても、幼かった姪は成人していて、玄関から彼を入れなかった。求人面接では、鳥の声がしない部屋に五分座るだけで汗が噴き出した。夜は壁へ頭を寄せ、存在しない波音を探した。保護司に「現実へ慣れろ」と言われるたび、澄人は現実が罰の続きに思えた。再犯は自由を捨てる行為ではなく、唯一知っている世界へ帰る手続きになっていた。
澄人はコンビニでわざと商品を盗み、店員が気づくまで出口に立った。戻れば、あの窓がある。
警察を待つ間、店員の少女が言った。
「おじさん、これ欲しかったんじゃないでしょう」
澄人の手にあったのは、子ども用の色鉛筆だった。少女は返品処理をして、廃棄予定の段ボールを一枚くれた。澄人は無意識に、独房の庭を描いた。木の枝は左右対称で、鳥はいつも同じ角度だった。初めて、あれが季節ではなく壁紙だったと分かった。
澄人は逮捕されなかった。代わりに地域の更生施設で壁画を描く仕事を始めた。絵の木には虫食いを残し、鳥は一羽ずつ違う向きにした。
完成した壁の前で、少女が「本物みたい」と言った。
澄人は首を振った。
「本物じゃない。でも、ここから出ても消えない」
窓はなかった。それでも彼は、初めて外へ続く景色を描けた。