競り鐘の前に

午前四時十二分、中央卸売市場の電子競りで、落札価格の順番が逆になった。

鮮魚棟のシステム係、潮崎玄は、買参人たちの怒鳴り声で端末から顔を上げた。大型モニターには、先に押された二万八千円の札より、後から押された二万七千円の札が落札と表示されている。仲卸は不正だと騒ぎ、競り人は「もう一度やればいい」と次の魚を台へ載せた。

玄は競り鐘を鳴らさせなかった。一度でも順序の根拠が崩れれば、後の全取引が疑われる。

入札記録にはミリ秒単位のタイムスタンプが付く。玄が三台の端末を比べると、棟の東側だけ時刻が一・八秒進んでいた。夜中に交換した機器がNTPへつながらず、自分の時計で動いていたのだ。押した順ではなく、進んだ時計が「先だった」と主張している。

「さっきの落札を取消して、全部の時計を合わせます」

市場長は首を振った。「止めたら、魚が温まる。紙で値段だけ控えて続けろ」

「今の時計を残した紙は、間違いの証拠を増やします」

玄は東側端末の受付を閉じ、西側の正常な二台だけで競りを再開する案を出した。ただし速度を半分にし、競り人が入札番号を声で復唱する。問題の一件は、映像記録とボタン信号の到着順を照合してやり直す。機器全体をロールバックするより、壊れた時間だけを市場から外すほうが早い。

買参人たちは不満を漏らしたが、玄が誤差の数字をモニターへ出すと静まった。誰が得をしたかではなく、なぜ順番が変わったかが見えたからだ。

再競りでは、最初に二万八千円を入れた仲卸が同じ値を押し、今度は正しく落札した。玄は結果だけでなく、やり直しに全員が同意した時刻も記録へ残した。競り鐘が鳴る。

夜明け前の冷気の中、魚箱がまた滑り始めた。市場長は玄へ「今日は借りだ」と言い、すぐ次のマグロを指した。

そのとき、青果棟から内線が入った。

「こちらも時刻がおかしい。昨日届いたはずの荷が、明日入荷になっている」

玄は長靴のまま走り出した。市場では、朝が来る前に直さなければならない時間がいくつもある。