緑のエプロン

生駒みのりが保育園を辞めると決めた理由を、藤倉映見は最後まで大げさだと思っていた。

父親のお迎えが遅れるたび、「お母さんに伝えてください」と言う園長。熱を出した子の連絡先が父親でも、先に母親へ電話する慣習。みのりは何度も直そうとしたが、「波風を立てないで」と注意された。

映見は、言葉を選べば変えられると思っていた。みのりは、選び続けた言葉が丸く削れて何も刺さらなくなったと言った。

退職まで一週間の夕方、五歳の沙良を迎えに来たのは父親だった。雨なのに上着を忘れている。園の予備はサイズが小さく、母親へ電話してもつながらない。

「お父さんが取りに戻るそうです」

園長はそう言ったが、自宅まで往復すれば四十分かかる。沙良は玄関で眠そうに座り、父親は濡れたスーツのまま何度も時計を見た。

みのりは職員用ロッカーから自分の薄手のパーカーを出した。映見は止めた。

「私物の貸し出しは禁止」

「知ってる」

「紛失したら困るよ」

「名前を書けば戻る」

映見には、規則を一つ破っても慣習は変わらないように思えた。みのりには、規則を守って子どもを待たせるほうがよほどおかしく思えた。

映見は裁縫箱を持ってきた。パーカーの首元に、園の予備布で小さな名札を縫いつける。みのりが沙良の名前を書き、映見が貸出台帳へ「防寒具・臨時」と新しい項目を作った。

「今日だけの例外にする?」

「例外にしたら、また誰かが困る」

二人は倉庫にある大人用の古い上着も集めた。洗えるものと処分するものに分け、サイズを測る。映見は園長へ正式な予備防寒具の購入申請を出し、みのりは父親を第一連絡先にした家庭の一覧を確認した。

沙良はパーカーの袖を二回折ってもらい、父親と手をつないで帰った。母親への伝言は頼まなかった。父親が受領欄に自分の名前を書いた。

閉園後、みのりは緑のエプロンを畳んだ。映見も自分のエプロンを外し、二人で上着の入った箱を職員室へ運ぶ。退職する人と残る人の棚は別だったが、その箱だけは真ん中へ置いた。