線香花火の最後の玉
志摩広海が弟の克己と実家の庭で花火をしたのは、二十年ぶりだった。
盆の片づけで押入れを開けると、古い菓子箱から未使用の花火が数本出てきた。さすがに火はつかないだろうと思ったが、弟が近所の店で新しい線香花火を買ってきた。
「子どももいないのに?」
「大人だけでやるの、贅沢だろ」
二人は縁側へ蚊取り線香を置き、バケツへ水を張った。
最初の一本は、広海がすぐ落とした。
「手が震えてる」
「風のせい」
「無風だけど」
弟の火玉は長く残り、細かな火花を四方へ散らした。
子どもの頃も、克己の方が上手だった。広海は早く大きく燃える花火を好み、線香花火の待つ時間が苦手だった。
二本目は、二人とも黙って見た。
小さな赤い玉から、松葉のような火花が伸びる。虫の声、遠くの祭囃子、蚊取り線香の煙。
「母さん、線香花火だけは縁側でやらせてくれたな」
「庭へ下りると蚊に刺されるから」
「火事が心配だったんじゃない?」
「どっちも」
母は数年前に亡くなり、実家は近く売る予定になっている。
大きな思い出を語ろうとすると、二人とも言葉に詰まった。けれど蚊取り線香の置き場所や、バケツの色ならいくらでも話せた。
最後の一本は、二人で持つことにした。
紙縒りの端を広海が、弟がその手首を支える。
「それ、ずるくない?」
「家族戦は何でもあり」
火玉は小さく揺れ、何度も落ちそうになった。
広海は息を止めた。
「息していいよ」
「風が起きる」
「そんな強くない」
二人は笑いをこらえ、肩を震わせた。
最後の火花が細くなり、赤い玉だけが残った。
落ちると思った瞬間、ふっと消えた。
水へ落ちる音さえなかった。
「勝ち負けは?」
「最後まで見たから、引き分け」
克己が言った。
縁側には火薬と煙の匂いが残り、盆提灯の灯りが古い柱を照らしていた。
実家はなくなっても、線香花火一本ぶんの静けさなら、どこへでも持っていける気がした。
広海は灰になった紙縒りを水へ入れ、弟と並んで、消えたあとの温かな暗闇をもう少し眺めていた。