老いる肖像

笹峯郁都は、存在しない皺を描く画家だった。

不老化処置を受けた顔は、二十代から四十代のどこかで固定される。老化は病気として消え、白髪や染みを描くことは「衰退願望を助長する」と公共広告規約で禁じられていた。

郁都は地下のアトリエで、客の話を聞きながら、その人が老いたはずの顔を描いた。子どもを失った年には眉間の線を、百年続けた恋には目尻の皺を、言えなかった謝罪には口元の歪みを足した。

郁都がこの仕事を始めたのは、誕生日写真が百枚すべて同じに見えたからだった。服と背景だけが変わり、顔には選択も後悔も残らない。人は生きた年数を語らなければ、昨日作られたように扱われた。

ある日、母が客として現れた。見た目は郁都より若かった。

「私じゃないの。あなたの父を描いて」

父は不老化処置の開始前年に亡くなっていた。郁都が五歳のころだった。残る写真は三十一歳の笑顔だけ。

「老いた顔なんて分からないよ」

「分からないから見たいの」

母は父の癖を語った。考えると左の頬を噛むこと。悔しいと鼻歌を歌うこと。郁都の入学式で泣いたこと。語るほど、写真の若い男に時間が宿った。

郁都は七十歳の父を描いた。額を広くし、頬を落とし、笑うと深くなる線を刻んだ。完成した絵を見て、母は長いこと黙った。

「似てない」

「ごめん」

「でも、会いたかった人に似てる」

母は絵の頬へ触れた。郁都は、父を失った母が悲しいのではなく、父と一緒に老いるはずだった自分の顔まで失ったのだと、そのとき知った。若い手と老いた顔が、同じ額縁の中で重なった。

その夜、郁都は初めて自分の老いた肖像を描いた。三百年後ではなく、普通なら八十歳だった顔。絵の自分は疲れていたが、妙に満足そうだった。

翌週、規約違反の通報で展示場を失った。郁都は絵を畳まず、街角へ並べた。通行人は足を止め、自分の未来だった顔を注文した。

不死者は老いを失った代わりに、積み重ねが顔へ現れる喜びも失っていた。郁都の絵は未来予想ではない。

生きた時間には形があると、若いままの人々へ返す鏡だった。