花嫁控室の鍵

小峰多恵は、娘の結婚式を人生最大の見せ場だと思っていた。

会場は、榛名ブライダルが運営する白亜の迎賓館。多恵は雫に招待状の宛名書きから引き出物の運搬まで押しつけたうえ、席次表から雫の両親を外した。花嫁である義妹は何度も止めたが、多恵は『嫁の家を招くと席の格が乱れる』と譲らない。雫は義妹の式を壊したくなくて、必要な作業だけを淡々と終えた。

「あなたのご実家は地方の小さな式場なんでしょう? こんな格式ある場所では落ち着かないわよ。呼ばない方が親切よ」

雫は席次表を見つめ、「両親には私から伝えます」とだけ答えた。

式前日の最終確認。多恵は会場責任者に、無料で料理を一段上げろ、装花を増やせと要求した。

「うちは今後も親族の式を全部ここで挙げるの。上客になる家よ」

責任者は返答せず、雫に確認書を差し出した。

「榛名様、追加費用の扱いはいかがいたしますか」

多恵が声を荒らげる。

「榛名じゃなくて小峰よ。この子はうちの嫁!」

そのとき、総支配人、料理長、衣装部長がそろって入室し、雫へ深く一礼した。

「創業家ご令嬢、お帰りなさいませ」

榛名ブライダルは、国内三百の式場と高級ホテル、宝飾会社を傘下に持つ巨大企業だった。雫の父は現会長、母はこの迎賓館の設計者。雫自身も学生時代から、式を挙げられない家庭へ無償婚礼を届ける財団事業を担当している。スタッフが彼女に向ける礼は、家名だけへのものではなかった。多恵が「地方の小さな式場」と聞いたのは、二人が週末だけ手伝う故郷の記念館のことだった。

雫の両親が入ってくると、スタッフ全員が道を開けた。多恵は急に愛想笑いを浮かべる。

「まあ、せっかくですから最前列のお席を――」

雫の母は、娘の手に金色の鍵を載せた。

「この館の名義を雫へ移したの。結婚祝いが遅くなってごめんなさいね」

責任者が席次表を開き直す。

「所有者ご家族を招待客から外すことはできません。なお、追加サービスは雫様の承認制です」

雫は多恵が書き込んだ無数の無料要求に、一本の線を引いた。

「式は予定どおり行います。ただし、家族を見下す人への特別扱いはありません」

金色の鍵が卓上で鳴り、館の主が誰か確定した。