角に残る出生名

産室の戸口で、ザフルは三度頭を下げなければ入れなかった。

天井に当たるほど枝分かれした角。その根元には、これまで吸い取った病の名が黒く刻まれている。熱病、黒咳、骨腐れ。人間は彼を疫獣と呼びながら、死が近いときだけ寝台へ招いた。

今夜、ミレアの腹には産まれようとする子と、胎毒の蛇が同居していた。

蛇を角へ移せば母子は助かる。ただし病を一つ引き受けるたび、ザフルの真名から一音が消える。名がすべて失われれば、人の言葉で自分を呼べなくなり、獣へ戻る。

「ザフル」

ミレアは汗に濡れた手を伸ばした。

「この子をお願い」

最初の痙攣が来た。腹の皮膚の下を黒い蛇が走る。ザフルは角の先を彼女の額へ触れ、毒を吸った。

角に新しい枝が伸びる。

同時に、名の最初の音が消えた。

助産師が彼を呼ぼうとして、口を開いたまま止まる。

「……フル」

二度目の毒を吸う。枝は天井を突き破り、瓦が落ちた。

「……ル」

ミレアの唇からも、名が削れていく。彼自身の記憶では三音すべて残っているのに、世界がそれを発音できなくなる。

赤子の頭が見えた。

だが胎毒の本体が臍の緒へ巻きつき、心臓を締めている。これを取れば、最後の音が消える。

ザフルは一歩退いた。

名を失った疫獣は、昔、守った村人を食い殺したと聞く。名前は異形を人の側へ縛る杭なのだ。

ミレアが苦痛の中で笑った。

「あなたが忘れても、私が覚える」

「お前も、言えなくなる」

「それでも覚える」

赤子の鼓動が弱くなった。

ザフルは角を臍の緒へ当て、胎毒をすべて吸い上げた。

黒い枝が爆ぜるように広がり、産室の壁を突き抜けた。赤子が産声を上げる。

助産師たちは歓声を上げたが、誰も異形の名を呼ばない。呼べない。

彼の喉から、人の言葉ではなく低い鹿の声が漏れた。指は蹄へ割れ、背中に斑点の毛が広がっていく。

ミレアは赤子を抱いたまま、その巨大な鼻先へ額を寄せた。

「ありがとう」

戸口を出た獣の角には、無数の病名が刻まれていた。

ただ一番根元にあったはずの出生名だけが、滑らかな白い空白へ変わっていた。