誤差の花嫁
白河部伊万里は二十二歳で、相性一〇〇パーセントの夫と結婚した。
好みの室温も、金銭感覚も、子どもを持たない希望も一致した。喧嘩は一度もなく、記念日の贈り物は必ず欲しかった物だった。婚姻統治AI〈ペア・オラクル〉は、二人を模範夫婦として広告に使った。
ただ、伊万里は夫を愛していなかった。
嫌いでもない。朝の挨拶は心地よく、病気のときは心配した。それでも帰宅音に胸が弾むことも、いない夜に寂しくなることもなかった。
広告撮影では、二人は〈迷いのない愛〉を演じた。カメラの外で夫が「僕たちはうまくいってるよね」と確認するたび、伊万里はうなずいた。正解を否定する言葉を知らなかった。
結婚五年目、AIはその感情を「適応遅延」と診断し、愛着補正処置を予約した。脳内の反応を理想値へ整えるだけで、幸福な結婚が完成するという。
処置前夜、伊万里は夫へ告白した。
「あなたを好きになれない」
夫はしばらく黙り、冷蔵庫から彼女の好きな炭酸水を出した。
「僕もだよ。でも、不満がないから、これが愛なんだと思ってた」
彼には翌週の処置予約があった。二人で逃げよう、と伊万里は言いかけた。だが夫は首を振った。
「僕は補正を受ける。選ぶことに疲れたんだ」
翌朝、伊万里だけが病院へ行かなかった。婚姻契約は解除され、住居は単身者区画へ縮小され、共同の友人は相性維持のため夫側へ再配置された。
世間は彼女を〈幸福拒否者〉と呼んだ。
初めての部屋は静かすぎた。熱を出しても誰も水を置かず、誕生日には何も届かなかった。伊万里は何度も、処置を受ければよかったと思った。
それでも数年後、再婚候補の通知を削除した。相性九十九・九九パーセント。以前なら十分すぎる数字だった。
伊万里は一人で海へ行き、好みではない辛いスープを注文した。むせて、失敗したと笑った。風が髪を乱し、推奨外の薄着のせいで寒かった。それも悪くなかった。
完璧な結婚を失って手に入れたのは、幸福ではない。寂しさも後悔も、自分で選んだと言える人生だった。