豚汁の牛蒡

 川辺郁也が「小舟」へ顔を出すと、店主は大鍋をかき混ぜた。

「牛蒡、多め。里芋は少なめだったな」

 郁也は、学生時代に豚汁だけを頼んで長居していた。卒業後は勤務地が変わり、今日まで来ていない。七年たっても、苦手な里芋と好きな牛蒡の割合を覚えられていた。

 椀から味噌の湯気が立ち、豚の脂と根菜の土っぽい匂いが混じる。笹がきの牛蒡は噛むと細くほどけ、大根には熱い汁が染みていた。飲み込むたび、冷えていた指先へまで温度が広がった。

 今日、社内異動の不採用通知が届いた。

 郁也は営業から商品企画へ移るため、一年間、売上分析と提案書を作ってきた。面接では手応えがあった。だが通知は「総合的判断」の一行だけだった。直属の上司は、営業成績のよい人間を出したくなかったのではないか。そんな疑いが頭から離れない。

 机には退職願の下書きがある。明朝、印刷して出すつもりだった。落とした会社に残るのは惨めだ。理由を聞くのも、未練がましく思えた。

 応募前、同じ部署の先輩から「営業で結果を出せる人ほど動かしてもらえない」と聞いた。郁也は負け惜しみだと思った。今はその言葉だけを証拠に、選考全体を疑っている。自分に足りなかったものを確かめるより、仕組みのせいにしたほうが傷は浅い。

「昔も、牛蒡ばっかり拾ってたな」

 店主が椀を見て言った。

 郁也は箸を止めた。欲しいものだけを先に拾えば、最後に苦手なものが残る。それでも当時は、残った里芋も黙って食べた。

 スマートフォンで人事へ面談を申請した。選考で不足していた点と、次回応募までに必要な経験を聞く。さらに、以前から気になっていた社外求人を一件だけ保存した。会社に残るとも、辞めるとも、今夜は決めない。

 面談で納得できるとは限らない。上司への疑いが深まるかもしれない。外へ出ても、企画の仕事に就ける保証はない。

 それでも、悔しさだけを退職理由にする前に、材料を集める。

 椀の底には小さな里芋が一つ残った。口へ入れると、思ったより崩れず、味噌の温かさのあとに牛蒡の香りが長く続いた。