赤い丸をつけなかった先生
担任は、私の進路希望調査に赤い丸をつけなかった。
第一志望は地元の大学。第二志望も地元。第三志望は空欄。
「東京の大学は書かないのか」
「行きません」
「行けない、ではなく?」
私は答えなかった。
母は一人で店を切り盛りしている。妹はまだ小学生。私が家を出れば、夕方の手伝いも、妹の迎えもできなくなる。
東京で法律を学びたいと言ったとき、母は反対しなかった。
「好きにしなさい」
そう言いながら、レジ横のシフト表を何度も書き直していた。
自由に選べと言われるほど、残るしかない気がした。
放課後、担任は私を職員室の隣の小部屋へ呼んだ。
机には、地元大学と東京の大学の資料が並んでいた。
「どちらを勧めるつもりですか」
「決めるのはお前だ」
「だったら、地元でいいです」
「『いい』で決めるな」
腹が立った。
「先生には分からないです。家のことがあるから」
「分からない。だから聞いている」
担任は赤ペンを置いた。
「残るなら、何を学び、どう家を支える。出るなら、誰に頼り、何を諦める。その両方を言葉にしろ」
私は、地元に残る理由しか持っていなかった。
東京へ出る方法を考えること自体が、母を裏切るようで避けていた。
一週間、家族で話した。
母は、店の営業時間を短くする案を出した。近所の人に妹の迎えを頼める日もあると言った。
「手伝ってくれるの、助かってる。でも、それで進路を決めたら、あとで店を嫌いになるかもしれない」
母の言葉に泣いた。
私は東京の大学を調べ直した。奨学金、寮、アルバイト。現実は厳しかった。
同時に、地元大学の法学系コースも詳しく見た。地域の無料相談や、家業を支える小規模事業者法務を学べる授業があった。
最終的に、私は地元を選んだ。
最初と同じ答えだった。
けれど、進路希望調査を書き直して担任へ出すとき、言葉は変わっていた。
「家に残るためだけじゃありません。地元の店や働く人を支える法律を学びたいです」
担任は初めて赤い丸をつけた。
「なら、これは妥協じゃないな」
私は首を振った。
東京を諦めた痛みは残っていた。
選び直したからといって、すべてが納得へ変わるわけではない。
それでも、誰かのために残らされたのではなく、自分がここで何をするか決めた。
赤い丸は正解の印ではなかった。
自分の答えとして提出したことへの、受領印だった。