赦免状を破った裁判官

宗教裁判の被告席で、聖女ユノアは両手を鎖につながれていた。

罪状は「神殿の命令を拒んだこと」。だが机に置かれた赦免状へ署名すれば、死刑は免れる。ただし小さな文字で、彼女の身も奇跡も終生教会へ帰属すると定められていた。

首席裁判官ローヴェンは、羽根ペンを差し出した。

「署名を」

傍聴席の司祭たちが満足げに笑う。ユノアは過去にも同じ紙へ署名させられ、古い所有者が死ぬたび、新しい赦免状を結ばされてきた。

彼女がペンを取ろうとしたとき、ローヴェンは紙を裏返した。

「被告ではない。司教代理、あなたが署名してください」

「何の冗談だ」

「この赦免状が正当な契約だと証言する署名です」

司教代理の顔がこわばる。

紙の裏には、同じ条文を写した一文があった。

《署名者の身と奇跡は終生、聖女ユノアへ帰属する》

「人を所有する条文が正しいなら、あなたにも署名できるはずだ」

法廷が静まり返る。

「私と罪人を同列にするな!」

「では条文ではなく、人によって正しさが変わると?」

ローヴェンは返事を待たず、裁判官の黒印を赦免状へ押した。

無罪の印ではない。《契約不存在》の印だった。

紙の中央から亀裂が走る。過去の赦免状へも魔力が伝わり、神殿の書庫で紙が次々と裂ける音が響いた。ユノアの手首を囲んでいた文字鎖がほどけ、鉄鎖まで床へ落ちる。

「勝手な判決を!」司教代理が立ち上がる。

「判決ではない。存在しない契約を、存在しないと確認しただけです」

ローヴェンは法廷の扉を開けた。

「ユノア。あなたに命令できる者はいない。ここを去って構わない」

彼女は自由な手を見つめ、傍聴席の間を歩いて外へ出た。

直後、司教代理はローヴェンの罷免を宣告した。護衛も法服も取り上げられ、裁判官は一人で石段を下りる。

その最下段に、ユノアが待っていた。

「逃げたと思いましたか」

「逃げるのが当然です」

「ええ。だから一度、門の外まで逃げました」

彼女は自分で戻り、証言台から持ち出した誓約用の小槌を差し出した。

「これは所有の印ではありません。私が、私の言葉で証言するためのものです」

「次の裁判は、私に法廷がありませんよ」

「なら広場で始めましょう。あなたが問うなら、私は真実を話す。あなたが倒れれば、私が続きを告げる」

ローヴェンは小槌を受け取った。

ユノアはその後ろではなく、同じ石段へ並ぶ。彼女の手首には、赦免の文字も、誰かの名も残っていなかった。