足音が角を曲がるまで
消灯後、戸を三回、間を空けて二回叩く。
昼間、英志と決めた合図だった。
班別行動の途中、私のカメラが電池切れになり、英志が交換を手伝った。使い終えた電池を彼がポケットへ入れたままになり、返却を口実に夜会うことまで、友人たちが勝手に決めた。「制服じゃない日に褒めなきゃ意味がない」と言われたらしく、英志は夕食からずっと落ち着かなかった。私も合図を待つあいだ、時計の針ばかり見ていた。
私は布団から抜け出し、同室の三人に手を合わせてから廊下へ出た。英志は非常口の表示の下に立っていた。学校では制服の襟がいつも曲がっているのに、その夜は黒いパーカーの紐まで左右同じ長さだった。
「これ」
彼が差し出したのは、昼にポケットへ入れた私の電池だった。
「明日でよかったのに」
「明日だと、返すだけになるから」
聞き返す前に、廊下の先で懐中電灯が揺れた。
見回りの先生だ。角を一つ曲がれば、私たちは正面から照らされる。
「あと十秒」
英志が言った。
逃げるなら、もう部屋へ戻るしかない。けれど彼は動かなかった。何か言おうとして、口を開いて閉じた。
足音が近づく。
八秒。
「今日の服」
七秒。
「黄色いやつ」
六秒。
「似合ってた」
それだけだった。私は朝から何人にも同じことを言われていたのに、英志の声で聞くと、黄色いセーターを選んだ昨日の自分まで褒められた気がした。
「英志も」
四秒。
「制服じゃないと、ちゃんとして見えた」
「褒めてる?」
二秒。
私は笑って、自分の部屋の戸へ手をかけた。
「名前で呼べたから、たぶん」
角から光が差した。
英志は向かいの部屋へ飛び込み、私は自分の部屋へ滑り込む。布団へ戻った瞬間、先生が戸を開けた。息を整える暇もなく、眠ったふりをする。
懐中電灯の光が私の枕元で止まった。握ったままの予備電池が、掌の中で熱かった。
先生は何も言わず、戸を閉めた。
暗闇で同室の三人が一斉に起き上がる。
「何秒あった?」
私は電池を胸元へ置き、答えた。
「足りなかった。だから、明日も話す」