辛くない麻婆豆腐

芹香は、コンビニの棚で麻婆豆腐を二つ見比べていた。

赤い帯に「本格四川」と書かれたものと、白い帯の「まろやか仕立て」。いつもなら赤いほうを選ぶ。辛いものが好きだと職場で公言しているし、疲れた日は刺激で気分を変えるのが自分らしいと思っていた。

けれど今日は、生理二日目だった。朝から腰が重く、会議中も腹の奥が鈍く痛んだ。鎮痛剤を飲むためにパンを一口食べ、昼食はそれで終わった。帰りの電車では、座っている人の膝や鞄ばかり見ていた。

芹香は白い帯をかごに入れた。豆乳、塩むすび、使い捨てカイロも加える。会計は千円を少し超えた。レシートに印字された「医薬品・衛生用品」という分類を見て、夕食より自分の不調のほうが大きく記録されたような気がした。

部屋に着くと、冷えた床が靴下越しに伝わる。麻婆豆腐を温める二分のあいだ、芹香はベッドに横になった。電子レンジが鳴ってもすぐに起きられず、二度目の催促音でようやく立つ。

白い帯の麻婆豆腐は、香りも味も穏やかだった。唐辛子の刺激はなく、とろみが温かく喉を通る。塩むすびを崩して容器に入れると、見た目はあまりよくないが、スプーン一本で食べられた。

友人から、激辛料理の店へ行った写真が届いていた。「芹香なら余裕でしょ」と書かれている。返事を考えながら、腹にカイロを貼る。いつもの自分なら、次は一番辛いのに挑戦すると返しただろう。

「今日は白いほう食べてる」

麻婆豆腐の写真を送ると、すぐに「それもおいしそう」と返ってきた。たったそれだけで、期待していた人物を演じなくても、会話は続くのだと分かった。

芹香は残った豆乳をマグカップに移し、温めた。辛さに勝たない夜もある。強い味を選ばない自分も、弱くなったわけではない。

今夜は体が嫌がらないものを食べた。それで十分、ちゃんと自分の味方をした。

食後、芹香はカイロの熱を確かめながら、食器を流しへ置いた。元気になったわけではないし、痛みも残っている。それでも、強がらない選択を一つできた夜は、負けた日ではなかった。