返信不要を消す夜

私書箱サービスが終了するまで、あと十六分だった。

川添春菜は、小さな郵便カウンターで空になった私書箱の鍵を返した。待合椅子には城山沙都子が、束になった絵葉書を抱えて座っていた。

二人は仕事で知り合って三年になる。春菜は旅先で見つけた海や建物を葉書にして送った。文末にはいつも同じ一行を書いた。潮風で少し反った葉書や、雪の町から届いた青い切手を、沙都子は透明な箱に日付順でしまっていた。

〈忙しいと思うので、返信はいらない〉

沙都子から返事が届くことは、ほとんどなかった。代わりに次に会うと、葉書の写真と同じ場所を調べ、近くの店の話まで知っていた。読んでくれたと分かるだけで、春菜は満足したふりをした。

今夜で私書箱は閉鎖される。沙都子は来月、海外の支社へ移る。郵便物を受け取る理由も、会う口実もなくなる。

「どうして毎回、返信はいらないって書くの?」

カウンターのシャッターが半分下りた。逃げるには、残り時間が短すぎた。

以前付き合った女性に、春菜は朝晩メッセージを送っていた。返信が遅いと不安になり、確認を重ねた。別れ際に「求められるのが重い」と言われてから、何も望まない人を演じた。誘うときも〈無理なら大丈夫〉、贈るときも〈お返し不要〉。拒まれる前に、自分の願いを取り消した。

「負担にしたくないから」

「私は、返したかったよ」

沙都子が絵葉書の束を差し出す。一枚ずつ、裏に返事が書かれていた。送る勇気がなく、私書箱へ入れずに持っていたという。

閉鎖まで三分。春菜は最後の一枚を開いた。〈一緒に見たい景色が増えました〉とある。

「返信はいらないって書いたけど、ずっとほしかった」

春菜はスマートフォンを開き、沙都子とのトーク画面に保存していた定型文〈返信不要です〉を消した。代わりに〈空港へ見送りに行ってもいい?〉と打ち、送信する。

目の前にいる沙都子の端末が鳴った。春菜は「急がなくていい」と付け足さず、答えが届くまで画面を伏せなかった。数秒後に届いた〈来てほしい〉の四文字を、今度は何度も読み返した。