遠征表の空白

大庭澄花は、恋人の前で予定の少ない人を演じていた。

男性アイドル〈BLAZE4〉の伊織を追う前は、月に二度は遠征していた。けれど恋人の古瀬圭吾が「週末は一緒にいたい」と言うたび、公演を一つずつ諦めた。嫌われたくなくて、ファンクラブの通知も非表示にした。抽選結果を洗面所で確認し、当選しても声を上げず、落選したふりをして圭吾との約束を優先した。譲ったチケットの半券が友人から写真で届くたび、自分で選んだはずなのに、少しずつ誰かに奪われたような気持ちになった。

ある夜、圭吾が自宅のプリンターを借りた。出てきたのは彼の書類ではなく、澄花が途中まで作った遠征表だった。新幹線、ホテル、開演時間。目的欄だけ空白にしてある。

「これ、出張?」

澄花は頷きかけた。だが、表の端には伊織のメンバーカラーである赤い炎のマークが印刷されていた。

「ライブ。ずっと隠してた」

圭吾は紙を見つめたあと、静かに聞いた。

「俺が嫌がると思った?」

「前の人に、いい年してって笑われたから」

「俺は言ってない」

責める口調ではなかった。それが痛かった。澄花は、圭吾が求めた以上に自分を小さくし、その不満を心の中で彼のせいにしていた。

「週末を一緒にいたいって言われると、断れなくて」

「断ってよ。全部一緒じゃないと恋人じゃないみたいで、俺も言い方が悪かった」

二人は遠征表を挟んで、初めて予定を交渉した。土曜は大阪公演、日曜の夜に帰宅。翌週は二人で映画。圭吾は同行しないし、澄花も誘わなかった。それでよかった。

目的欄の空白に、澄花は〈BLAZE4 大阪公演〉と入力する。さらに備考へ〈伊織を見届ける〉と足した。

「そんなに好きなんだ」

「うん。あなたと会う前から」

圭吾は少し寂しそうに笑い、それでも印刷ボタンを押した。

新しい遠征表が出てくる。空白のない一枚を、澄花は隠さず冷蔵庫へ磁石で留めた。