金魚鉢の正直な色
夏祭りの翌朝、父は道端へ捨てられた金魚を拾った。
破れた袋の底で、赤い尾だけが動いていた。
幼い娘と二人で水槽を用意し、十年以上育てた。
妻が亡くした年の冬、金魚も静かに息を止めた。
娘が家を出る前夜、空の金魚鉢へ水を入れると、赤い浴衣の少女が現れた。
髪の先が尾びれのように揺れている。
「助けてもらったお礼です」
少女が鉢の縁へ座る。
二人が同時に水をのぞくと、それぞれ一度だけ、隠している感情が色になって映るという。
父は断った。
娘も、
「別に知りたくない」
と言った。
二人は、娘の進学を巡って三か月口をきいていない。
父は地元へ残ってほしい。
娘は、母の死後ずっと家事を担った家から離れたかった。
少女が水へ指を入れる。
「助けた朝、あなたたちは私が生きたいか聞かなかった」
「魚に聞けないでしょう」
「だから水を用意した。泳ぐかどうかは、私が決めました」
父と娘は仕方なく鉢を挟んだ。
父の側の水が、濃い青へ変わった。
悲しみだと娘は思った。
少女は首を振る。
「これは、置いていかれる怖さ」
娘の側は明るい黄色になった。
父の顔が固くなる。
「家を出るのが、そんなに嬉しいか」
黄色の底から、灰色がゆっくり混じった。
「嬉しいのと、罪悪感」
少女が言う。
娘は泣きそうになった。
家を離れたい自分は薄情だと思っていた。
父も、反対の理由を生活費や安全の問題として話し、本当は一人になるのが怖いと言わなかった。
「お母さんが死んでから、私が代わりになってた?」
娘が尋ねる。
父はすぐ否定できなかった。
料理や洗濯を任せ、頼るたび、
「家族だから」
と言った。
「代わりにしたかったわけじゃない」
「でも、してた」
「うん」
水の色はすぐ透明へ戻らない。
青と黄と灰色が混じり、濁った緑になった。
少女は楽しそうに鉢の中へ飛び込んだ。
「気持ちは、きれいな色で一つずつ泳ぎません」
翌朝、娘は予定どおり町を出た。
父は駅で、
「帰ってこい」
と言わず、
「月に一度は連絡してほしい」
と頼んだ。
娘も、
「家事を覚えて」
と笑った。
赤い少女は水へ溶け、鉢の底に小さな鱗だけ残した。
空の水槽は処分した。
金魚鉢だけは台所に置き、父が育て始めた香草を入れた。
娘が帰省すると、その葉で料理をする。
味は毎回違う。
父と娘はもう、相手の気持ちを一色に決めない。
嬉しいのか、寂しいのか、両方か。
水をのぞく代わりに、濁ったまま言葉へするようになった。