鏡面に残る輪

閉館後の服飾資料館で、学芸員の十河が鏡張りの展示床へ仰向けに貼りついていた。後頭部には打撃痕がある。背広と床の間で透明な接着剤が硬化し、無理に持ち上げれば衣服も皮膚も裂けるため、溶剤の選定が終わるまで遺体は動かせない。天井の照明が、死者と見下ろす三人を二重に映していた。

容疑者は保存修復士の錦織、企画責任者の蘇我、床施工を担当した三田村。十河は高額衣装のすり替えを見つけ、翌朝の理事会で報告する予定だった。錦織は接着剤を管理し、蘇我は展示目録を作り、三田村は床暖房まで施工している。誰でも仕組みを知り、誰にも告発を止める理由があった。

錦織は薬品庫の封印を示し、三田村は作業終了後に資材を持ち帰ったと述べた。蘇我だけは「十河が自分で転び、補修中の床へ貼りついた」と事故を主張した。だが展示床は開館前に清掃済みで、補修中の表示もなかった。三人の顔が鏡面に並び、誰も死者を直視しようとしない。私は映り込みではなく、手掛かりを三つに絞った。

第一。接着剤は背広とズボンの背面にだけ広がり、掌、靴底、床へ接するはずの踵には付いていない。歩いて転んだのではなく、動かない体を用意された円形の上へ置いた形だ。

第二。床暖房は三十二度に設定され、通常四十分の硬化時間が十二分まで縮まっていた。犯人は短時間で遺体を固定できた。

第三。剥がした接着剤容器の円形離型紙が、今夜の自筆メモを残した蘇我の展覧会プログラムに栞として挟まれていた。切り欠きも床の接着輪と一致する。

蘇我はプログラムを誰かに渡したと言った。鏡の中の彼だけが、遺体ではなく自分の手元を見ていた。

十河は補修箇所へ転倒したのではない。蘇我が先に殴り、離型紙を剥がした二液接着剤を鏡面へ円く広げ、遺体を背中から置いた。だから掌と靴底は汚れず、床暖房によって十二分で動かせなくなったのである。付着位置が遺体を置いた順序を、加熱設定が実行可能な時間を、プログラム中の離型紙が準備した人物を示す。鏡は犯行を映さなかったが、蘇我が切り抜いた円だけは床と紙の両方に残った。 偶然の転倒では、離型紙を栞にして持ち去る理由もなかった。