閉ざされた展示室

市立美術館の案内係になって二週間、瀬尾乃々花が初めて受けたクレームは、車椅子の女性からだった。

「『すべての展示室を回れます』と電話で確認しました。でも、この先は階段しかないそうですね」

女性の膝には、特別展の図録が置かれていた。遠方から来たらしく、閉館まで残り一時間。館内マップでは二階の第三展示室へ、奥のエレベーターから行けることになっている。ところが改修工事の仮壁が通路を塞ぎ、扉には〈関係者以外立入禁止〉の札が下がっていた。

乃々花はまず謝った。主任は「安全上、本日は第一・第二展示室まで」と説明するよう指示した。

「でも、電話では全部回れると言われました」

女性の声は大きくない。そのため周囲の客は振り向かなかった。乃々花には、その静けさが、怒鳴られるより痛かった。

バックヤードの避難経路図を確認すると、第三展示室の裏に荷物用エレベーターがある。普段は作品搬入専用だが、非常時には来館者の避難にも使う。保安規程には〈職員二名の同行と運転管理者の許可があれば、人員移動可〉とあった。

主任は首を横に振った。「前例がない。何かあったら誰が責任を取るの」

「行けないと決めた前例なら、今日つくってしまいます」

乃々花は設備担当と警備員へ連絡し、通路の幅、段差、扉の開閉を一つずつ確認した。作品搬入の予定がないこと、非常時に来館者用動線へ戻れることも確認する。許可が下りるまで二十分かかった。その間、女性には待たせる理由と、途中で中止する条件を説明した。

荷物用エレベーターは、油と木箱の匂いがした。華やかな来館者用とは程遠い。それでも第三展示室へ着くと、女性は正面の大作を見上げ、長く息を吐いた。

「これを見に来たんです」

閉館後、乃々花は古い館内マップを回収した。電話応対表には「工事中の実動線を当日確認」と書き加え、仮壁の手前に迂回案内を置く申請を出した。

主任が「案内係の仕事を越えている」と言う。

乃々花は、翌週予定されている全館動線点検の担当表を開いた。空欄だった〈車椅子利用者の経路確認〉に、自分の名を入力する。

「越えないと、閉ざされたままなので。次は、来館前に開けておきます」