駅のベンチの稲荷寿司
営業回りの途中、英臣は乗り換え駅のベンチで弁当を食べる。
駅前の寿司店で買った稲荷寿司が四つ。油揚げは濃い色で、包みを開けると甘い醤油の匂いがした。
隣には大きな旅行鞄を抱えた老婦人が座っていた。時刻表を何度も見ては、ホームの表示と見比べている。
「この電車、温泉のほうへ行きますか」
英臣は路線図を確かめ、次ではなく、その次の快速だと教えた。
「よかった。急がなくていいのね」
老婦人は鞄から布包みを取り出した。中身は同じ稲荷寿司だった。店も同じらしく、緑の楊枝まで一致している。
「ここへ来ると、いつも買うんです。昔、夫と食べたから」
英臣は自分の稲荷を見た。選んだ理由は、四つで五百円だったからだ。
二人はそれ以上話さず、並んで食べた。電車が入るたび風が起こり、酢飯の香りがふっと薄くなる。油揚げを噛むと甘い汁が出て、冷えた指先まで少し緩んだ。
快速の案内放送が流れる。老婦人は立ち上がり、空になった包みを丁寧に畳んだ。
「あなたも、いい旅を」
「仕事です」
「途中でお稲荷さんを食べたなら、少しは旅でしょう」
老婦人が乗った電車を見送り、英臣は最後の一つを食べた。午後の訪問先までは三駅。いつもならメールを確認する時間だったが、窓の外を見ることにした。
線路沿いの家々から、洗濯物と冬野菜の畑が見える。膝の上の空包みには、甘い汁が一滴染みていた。仕事へ戻る短い移動が、知らない町を通る小さな旅のように感じられた。
次の週も同じ駅を通り、英臣はまた稲荷寿司を買った。今度はホームではなく、一本遅い電車の窓際で包みを開く。向かいの席は空いていたが、四つを急いで食べなかった。甘い油揚げを一つずつ味わう間、通過する小駅の名を読み、知らない町にも昼の匂いがあることを知った。
包みを捨てる前に、老婦人の真似をしてきちんと四角く畳んだ。指には油揚げの甘い匂いが残る。次の訪問先で名刺を差し出したときまで、その香りは仕事の一日の中に小さな旅を隠していた。