『宛先に残った亡命』

執行役員昇格の最終面談で、霧生沙羅は「海外撤退企業の再参入計画」を説明した。五年前に失敗した市場へ、小規模店舗から戻る案だ。面談官たちは緻密な調査にうなずいた。

候補者の御船昌平は胸を張った。

「当時の失敗を分析し、私が一から作りました」

沙羅は資料の末尾を見つめた。そこには、五年前に退職した企画担当、鴨志田順が好んだ独特の言い回しがあった。「撤退ではなく、未来への亡命」。

「鴨志田さんの原案ではありませんか」

御船は即座に否定した。

「彼の案は粗く、使い物にならなかった。これは別物です」

沙羅はメール保管庫を開いた。五年前、鴨志田が役員へ送ろうとした企画書は、送信直前に上司の御船によって回収されていた。だが下書きメールには自動保存があり、宛先とCCが残っている。CCの最後に、当時監査担当だった沙羅の旧アドレスがあった。

「資料そのものは送信されていません」

御船は言った。

「添付は残っています」

保管庫から復元したファイルの更新時刻は五年前の六月三日。今日の企画書は、図表の色と数値だけ変わり、文章は九十四%一致した。鴨志田が仮置きした架空店舗名まで残り、御船はその由来を尋ねられて答えられなかった。鴨志田が故郷の喫茶店から借りた名だと、下書きメールの注釈には書かれていた。

御船は椅子の背にもたれた。面談官の誰も、もう資料をめくっていなかった。

「会社に在籍中の成果は会社のものだ。管理職が引き継いで何が悪い」

「引き継いだなら、なぜ作成者を自分へ変えたのですか」

版履歴には、昨夜二十三時、御船が復元ファイルを開き、鴨志田の名と作成日を削除した記録があった。会議室予約も同時刻、用途は「昇格面談仕上げ」。

沙羅は評価票を伏せた。

「御船さんの執行役員昇格は否決します。鴨志田さんへ連絡し、企画使用料と復職条件を協議します」

五年前に送られなかった企画が、その場で昇格を止めた。