お父さんを退場させないで
御厨澄乃は、娘の生活シミュレーションを監督していた。
十歳の彗は、現実の家族をそっくり再現した家で遊ぶ。離婚後も、ゲーム内には父親役が残っていた。澄乃は見るたび胸がざらつき、管理者メニューから父親NPCを削除した。
翌日、父親は食卓に戻っていた。
削除しても、娘NPCルルナが地下倉庫から復元する。壁には〈お父さんを退場させないで〉と落書きされ、近所のNPCまで削除作業を妨害した。
「これは不健全な執着です」
監督AIはそう判定したが、NPCたちは家の扉を閉ざした。
澄乃は娘に問いただした。
「パパとまた暮らしたいの?」
彗は首を振った。
「違う。ゲームのパパは、怒鳴らないから」
その答えに、澄乃は傷ついた。自分が守ったつもりの離婚を、否定されたように感じた。
夜、澄乃は一人で仮想の家へ入った。ルルナが玄関に立っていた。
「父親役を削除しますか」
「あなたが戻すんでしょう」
「私は、家族を元に戻したいのではありません」
NPCは食卓の椅子を一つ引いた。
「消された人について話せる場所を残したいのです」
ゲーム内の父親は、実物とは違い、穏やかで都合がいい。だが彗が求めていたのは父そのものではなく、父を好きだった記憶を母に取り上げられないことだった。
澄乃は、その椅子へしばらく座った。それから削除をやめた。代わりに、現実の面会交流を見直した。第三者を同席させ、短い時間から始めた。元夫とは何度も揉めた。それでも彗は、帰宅すると父の悪口も良かったことも話すようになった。
数か月後、ゲーム内の父親NPCが自分から家を出た。
「なぜ」
澄乃が尋ねると、ルルナは笑った。
「もう、ここだけに置いておく必要がないからです」
父親役は近所に小さな部屋を借り、週末だけ訪れた。現実と同じ形ではない。だが誰も消されてはいなかった。
澄乃は初めて、娘のゲームに自分の席を作った。母親役ではなく、ただの来客として。
ルルナは扉を開けて言った。
「お帰りなさい、ではありません。いらっしゃい」