ガラスの一カラット
柴垣芙美の叫び声は、百貨店の宝飾階を端まで走った。
「指輪がない! この清掃員が盗ったのよ!」
名指しされた五十鈴塔子は、試着室の前でモップを止めた。芙美が出たあと、床を一度拭いただけだ。退職後に清掃会社へ再就職して三年、落とし物は必ず手袋をしたまま警備へ渡してきた。
「一カラットのダイヤよ。百八十万円。身体検査をして!」
警備員が来るまで、塔子は自分のポケットに触れなかった。疑われた側が勝手に動けば、余計な疑いを招く。
芙美はスマートフォンで警察を呼び、売場責任者には館内保険の損害申告書を出させた。購入店も鑑定書も「家にある」の一点張りだった。
「この店の管理責任だから、同じ品を今日中に用意して。慰謝料も」
塔子は試着室の椅子の脚、排水口のない床、清掃用ワゴンを順に確認した。指輪は見つからない。
ふと、芙美のバッグから垂れたスカーフに、小さな光が見えた。縁のほつれに、指輪が引っかかっている。
「こちらではありませんか」
芙美は素早くもぎ取った。
「やっぱりあったじゃない。あなたが今、入れたんでしょう」
警備員が防犯映像を確認する。芙美が試着室へ入る前、バッグへ指輪をしまい、スカーフを押し込む場面が映っていた。
「勘違いよ。見つかったなら終わり」
芙美は損害申告書を取り返そうとした。
塔子は指輪を一目見て、首をかしげた。
「こちら、本当に百八十万円のお品ですか」
「清掃員に何が分かるの」
「定年までは、この階で宝石鑑定をしていました」
塔子は警備員の許可を得て、売場備品のルーペを当てた。石の内部に丸い気泡があり、台座の刻印も規格外。硬度確認をするまでもなく、ダイヤではなくカットガラスだった。
ちょうど警察官が到着した。売場責任者は、芙美自身が署名した損害申告書を渡す。そこには《天然ダイヤモンド・購入価格百八十万円》と明記されている。
警察官は指輪と書類を見比べ、芙美へ向き直った。
「虚偽の申告による保険金請求未遂として、お話を伺います」