ケーキを三等分

雨宮郁が逃げ込んだのは、披露宴会場の裏にある製菓室だった。

津村葉子はウェディングケーキの仕上げをしていた。三段目に銀箔を置こうとしたところで、白いドレスの郁が入ってきて、「冷蔵庫、空いてる?」と聞いた。

新郎の母が、結婚後の新居へ一緒に住むことになったという。郁が知ったのは、親族紹介で義母が「来月から三人暮らし」と話したからだった。新郎は、介護が必要になる前に親孝行したい、郁なら最後には納得すると考えていた。

葉子は祖母、母、妹と四人で暮らしている。家族が一つ屋根の下にいるのは安心だし、家賃も家事も分けられる。郁が同居をそれほど恐れる理由は、正直わからない。

「部屋、もう契約したって」

郁はケーキ台の横に座り込んだ。新居の初期費用は二人の貯金から出ている。間取り図には、郁の仕事部屋だったはずの場所が「母室」と書き替えられていた。

葉子は銀箔のピンセットを置いた。慰める代わりに、ケーキの保管予定を確認する。式が止まれば、百二十人分の生菓子が残る。持ち帰りは禁止。捨てるには多すぎた。

「会場に出す分、スタッフに回す分、近所の子ども食堂に相談する分。三つに分ける」

葉子が言うと、郁は袖をまくった。ドレス用の長い手袋を外し、衛生用の手袋を二重にはめる。

二人はケーキを切った。入刀用の大きなナイフではなく、厨房の細い包丁で、形を崩さないよう同じ幅にする。葉子が切り、郁が容器へ移す。途中で郁の手が止まったが、葉子は事情を聞かず、空の箱を次に置いた。

「私なら、同居するかも」

葉子は作業を続けながら言った。

「知ってる」

「でも、勝手に部屋を決められるのは嫌」

郁は小さくうなずいた。理解し合ったわけではない。暮らし方の正解も違う。ただ、本人の分まで先に取り分けることを、二人とも拒んだ。

最後の一切れを箱へ入れ、三種類のラベルを貼る。郁は新郎へ「式を中止する。契約書を見せて」と送った。葉子は配送先へ電話をかけた。

冷蔵庫の棚を三段空け、二人で箱を運ぶ。いちばん重い箱は、片側ずつ持った。

扉を閉める前、郁は銀箔の残ったケーキを見た。葉子は照明を消した。甘い匂いだけが、冷えた部屋に残った。