ホットスナックの灯

 綾芽が夕食を食べ損ねたのは、誰かのせいにするには細かすぎる理由が重なったからだった。

 会議が九分延び、返信が一通増え、乗るはずの電車が目の前で閉まった。帰宅した午前零時半、冷蔵庫にはマスタードと炭酸水しかなかった。

 もう料理をする気力はない。

 綾芽はコートを脱がず、向かいのコンビニへ行った。

 店内に入ると、レジ横のホットスナックケースだけが琥珀色に光っていた。天井の白い照明とは違い、その小さな箱の中だけ夕方が残っているようだった。

 残っているのはコロッケ一つ。

 綾芽はそれを見てから、店内を一周した。栄養を考えてサラダを取る。戻ってくる。コロッケはまだある。おにぎりを取る。戻ってくる。まだある。

 最後の一つを買うことに、なぜか決心が要った。

 レジへ並ぶと、後ろに客が一人来た。作業着の女性で、手にはカップ麺だけ。綾芽は急に、相手もコロッケが欲しいのではないかと思った。

「お先にどうぞ」

 綾芽が言うと、女性は首を横に振った。

「大丈夫です。お腹すいてる顔、そっちのほうが強いので」

 綾芽は一瞬、笑っていいのか迷い、結局少し笑った。

 女性も目元だけ笑い、カップ麺を持ち直した。

 綾芽はレジでコロッケを頼んだ。店員がケースを開けると、温められた空気がふわりと出る。紙袋へ入れる音。トングが金属へ触れる音。背後でカップ麺の蓋がかすかに鳴る。

 会計が終わる。

 綾芽は振り返り、女性へ小さく会釈した。相手はもうレジへ進み、こちらを見ていなかった。

 部屋へ戻り、キッチンの灯りだけをつける。コロッケの紙袋には油が丸く染みていた。半分に割ると、湯気が上がり、じゃがいもの甘い匂いがした。

 仕事は明日もある。誰かが綾芽の疲れを分かってくれたわけではない。さっきの女性も、名前も知らないまま二度と会わないかもしれない。

 それでも「お腹すいてる顔」と言われた自分の顔を思い出すと、少しだけ可笑しかった。

 綾芽はサラダより先にコロッケをかじった。

 今夜くらい、最後の一つを自分が食べてもよかった。