七分だけ若い腕時計

 朝比奈乃愛の誕生日は、配信記録には完璧に残っていた。

 午前零時のカウントダウン、百本のメッセージ、企業から届いたケーキ。動画は四時間二十六分ある。それなのに本人には、その夜を過ごした実感が一秒もなかった。

 七尾廉は、左腕に七本の時計を巻いていた。革、金属、子ども用の樹脂。すべて七分ずつ時刻が違う。

「七分あれば足ります」

 そう言って乃愛のスマートウォッチを機内モードにした。

「勝手に切らないでください。連絡が」

「七分後に世界が終わるなら、返金します」

 愛想のない青年だった。工具を触るたび七本の秒針が別々に鳴り、工房の空気だけが細かく刻まれる。

 乃愛は、誕生日の記憶を戻してほしいと頼んだ。廉は配信映像を見ず、心拍記録だけを読み取った。午前一時五十三分から二時ちょうどまで、脈が急にゆるんでいる。

「配信を止めた覚えはありません」

「映像は止まってない。あなたが画面の外へ出た」

 時計を七分巻き戻す。

 キッチンで、乃愛の妹が焦げたホットケーキを焼いていた。配信用の豪華なケーキではなく、子どもの頃と同じ、丸くもない一枚。妹は顔を映したくないと言い、乃愛もカメラを置いたまま席を外した。

 二人は七分で半分ずつ食べた。会話は「焦げてる」「知ってる」だけ。妹が帰ったあと、乃愛は口紅を塗り直して配信へ戻った。

「どうして、そこだけ忘れたの」

「見せなかった時間を、無かったことにする癖がついてる」

 廉の言葉は痛かった。だが彼はスマートウォッチから、その七分を削除せず、他人には再生できない鍵付きの記憶として戻した。

「保存しても、投稿しません」

「当然。思い出は公開しないと消えるものじゃない」

 七分が過ぎ、廉は左腕のいちばん小さな時計を外した。

「修理代の代わりに、これを?」

「貸すだけ。毎日七分、通知を切る。その間にしたことは記録しない」

「返すのはいつ?」

「時間が余ったと思えた日」

 店を出た乃愛の端末には、未読が四百件あった。けれど腕の小さな時計が七分遅れている間、返信しなかった。

「七分あれば足ります」

 廉の口癖は、仕事を詰め込むためのものではなかった。誰にも見せない自分へ戻るには、それだけあれば始められるという、短い休暇の単位だった。