七曲目までの沈黙
下平綾芽は、母から届いた四分十二秒の音声を、五日間聞けずにいた。
再生すれば、正月に帰れ、仕事を変えろ、妹を見習えと言われる気がする。聞かなければ、まだ何も命じられていない。通知を消さないのは反抗のつもりだったが、画面を開くたび、母の四分十二秒に一日を支配されていた。通知だけを残し、綾芽は「七曜盤店」へ入った。
手にしたLPには、曲名が七つ印刷されていた。七曲目の演奏時間は「0:43」。短い曲だと思い、試聴を頼んだ。
六曲目が終わったあと、何も聞こえなくなった。
店主は針を上げない。綾芽は故障かと思い、ターンテーブルへ顔を寄せた。盤は回っている。二十秒、三十秒。店内の冷蔵庫が唸り、外を自転車が通った。
四十三秒目、ピアノが一音だけ鳴った。
それに続いて、誰かが椅子から立つ音。七曲目は、それだけだった。
「無音も曲に入るんですか」
店主は曲目表と溝の位置を見比べた。
「時間には入っています」
会計で、店主はレシートの余白へ七曲の時間を順に書き写した。中古盤の再生確認記録らしい。七番だけ「無音後、一音」と記す。待った時間を、なかったことにしない書き方だった。
綾芽は店の試聴用ヘッドホンを外さず、母の音声を再生した。
予想どおりの言葉が続く。正月、転職、妹。途中で止めたくなったが、四分十二秒まで聞いた。最後の十秒、母は小さな声で言った。
《返事だけはして。帰るって返事じゃなくていいから》
綾芽はヘッドホンを返した。
聞き終えたからといって、従う必要はない。最後まで聞くことと、最後まで受け入れることを、綾芽は同じにしていた。返事をしないことでしか抵抗できないと思っていたが、言葉を選ぶ権利は自分にある。
《今年の正月は帰りません。転職もしません。電話は日曜の午後なら出ます》
送る前に読み返し、「ごめん」を付けかけて消した。
送信する。
店主は七曲目の位置へ小さな紙片を挟み、LPを渡した。綾芽は四十三秒の沈黙ごと、それを受け取った。