三一七番ロッカー

挙式まで十分。笠松颯太のスマートフォンへ、新郎から電話が入った。

「莉子がいません。駅へ行くと言って……心当たりはありますか」

波多野莉子は、苦しくなると駅地下の三一七番ロッカーへ物を隠した。暗証番号は二人が初めて会った日付で、別れてからも一度も変更されていなかった。颯太と付き合っていた頃、喧嘩の手紙も、返せない合鍵も、そこへ入れた。

走って地下へ下りると、白いドレスの莉子がロッカー前にしゃがんでいた。手には古いフィルムカメラ。

「逃げるなら、もっと動きやすい服で来いよ」

「逃げてない。これを置いていくのが怖くなっただけ」

カメラは、二人が別れた旅行で使ったものだった。最後の朝、颯太が「もう撮らなくていい」と言い、莉子はシャッターを切らなかった。少なくとも彼はそう思っていた。

「捨てて」と莉子が言う。「新しい家へ持っていけない」

「自分で捨てればいい」

「中の写真を見たら、行けなくなる気がする」

颯太が巻き上げレバーを触る。カウンターは三十六を示していた。旅行前、残りは一枚だった。莉子はあの朝、彼が背を向けたあとで最後の一枚を撮っている。

「撮ったのか」

「止められなかった。あなたが振り返るかもしれないと思った」

「俺は、撮る価値もないって言われたと思った」

「私は、振り返らなかったのが答えだと思った」

そのとき新郎からメッセージが来た。

〈彼女は逃げていません。あなたに返してから来ると聞いています。急がせてごめんなさい〉

莉子が秘密に呼び出したのではない。彼女は過去を隠さず、新郎はその返却を颯太へ任せていた。

地上から鐘が聞こえる。残り三分。

「現像する?」と莉子が聞いた。

最後の一枚に、振り返らなかった自分と、待っていた彼女のどちらが写っているか。知れば救われるかもしれない。もっと遅くなるかもしれない。

颯太は裏蓋を開け、フィルムを明るい蛍光灯へ引き出した。黒い帯が白く焼けていく。

空になったカメラを莉子へ返し、三一七番の扉を閉めた。