三人分のモーニング
引っ越しの朝、祥吾と奈央は空っぽになった部屋を出て、向かいの喫茶店へ入った。生後六か月の娘、結芽は抱っこ紐の中で眠っている。
この町へ来た五年前も、二人は同じ店でモーニングを食べた。あのときは家具が届かず、床に新聞紙を敷いて一晩を過ごした。若く、荷物も少なく、何も決まっていないことが楽しかった。
「モーニング、二つ」と祥吾が言うと、店主の巽は結芽を見て、「三つだね」と返した。
運ばれてきた盆には、トーストとゆで卵が二組、それから小さな皿にパンの白い部分が一切れ載っていた。
「まだ食べられません」と奈央が笑う。
「じゃあ、お父さんが代理で」
祥吾は小さなパンを受け取った。結芽のためのものだと思うと、いつもの食パンより柔らかく感じる。
店内には朝刊をめくる音がしていた。コーヒーの湯気の向こうに、五年前と同じ振り子時計が見える。変わったのは、壁紙が少し黄ばんだことと、二人の足元に段ボールではなくベビーカーがあることだった。
「寂しい?」と奈央が訊いた。
「少し」
「私も」
新しい町には広い部屋がある。奈央の職場にも近い。正しい引っ越しだと分かっていても、正しさは寂しさを消してくれない。
結芽が目を覚まし、鼻を鳴らした。巽が遠くからスプーンを振ると、結芽は声を立てて笑った。
会計の際、巽は小さな紙袋を渡した。中にはパンの耳を揚げて砂糖をまぶした菓子が入っている。
「三人分」と言った。
車に乗ると、紙袋から油と砂糖の匂いがした。祥吾は一本かじり、奈央へ渡す。後部座席で結芽がまた眠り始める。
町を離れる最後の交差点まで、二人の指には細かな砂糖が光っていた。
高速道路へ入る前、奈央が紙袋をきれいに折って鞄へしまった。「捨てないの」と祥吾が訊くと、「新しい家で結芽のおやつ入れにする」と言う。油染みのついた袋は立派なものではない。それでも新居へ最初に運び込む思い出として、ちょうどよかった。