予約されていない音楽堂

演奏会の三日前、音楽堂から電話が来た。受話器を持つ手が冷えた。

「その日程では、予約を承っておりません」

制作主任の水無瀬颯人は、財団理事長の息子だった。彼の机には未開封の申込書が、コーヒーカップの下で丸く染みていた。

「戸隠さんが確認すべきだったんじゃない?」

「予約担当は主任です」

「責任を分け合うのがチームでしょ。中止の説明、君からしておいて」

海外の指揮者も、百人の奏者も、すでに来日していた。

私は港の古い貨物倉庫を思い出した。高い天井と木の壁は、以前の音響調査で不思議な残響を返していた。ただし電源も客席も暖房もない。消防、港湾局、照明会社へ走り、二日で仮設の客席を組んだ。奏者の椅子は市民会館から借り、譜面台は音大の学生が運んだ。チケット購入者へ一人ずつ会場変更を知らせると、誰一人払い戻しを求めなかった。

指揮者は最初、無茶だと言った。けれど倉庫で一度タクトを振ると、梁の間を返ってくる音を聞き、「ここでしか鳴らない曲にしよう」とプログラムの順番を変えた。

演奏会の夜、海鳴りと弦の低音が倉庫の中で重なった。最後の和音が消えても、観客はしばらく立てなかった。その後、拍手が波のように押し寄せた。

颯人は記者の前へ出た。

「既成概念を壊す会場変更は、僕の発案です」

指揮者がマイクを取った。

「私は戸隠響子さんから、四十八時間でこの奇跡を作る計画を聞きました。あなたとは今日初めて話します」

そこへ監査役が到着した。理事長が息子の失敗を隠すため、架空の会場費を財団から支払っていたことが判明し、理事会は解任を決議していた。

颯人は顔色を変えた。

「父が辞めても、僕は制作主任です」

新理事長が首を振った。

「職務放棄と虚偽発表により、本日付で懲戒解雇です。次回公演の制作総監督は戸隠さんにお願いします」

倉庫の扉が開き、夜の海が見えた。

撤去される颯人の名札の向こうで、次回公演のポスターにはもう〈制作・戸隠響子〉と印刷されていた。