二十年先の釣り銭
藁科基は、妹の誕生日を忘れた夜、駅裏の自動販売機で缶コーヒーを買った。
忘れたというより、覚えていて電話しなかった。父の遺産の分け方でもめてから三年、どちらが先に謝るかの我慢比べを続けている。妹が欲しがったのは金ではなく、父が毎朝使っていた欠けた湯呑みだった。基は「公平に売るべきだ」と言い、妹は「何でも値段にする」と泣いた。湯呑みはいまも基の食器棚にあり、一度も使っていない。
五百円玉を入れると、釣り銭に見慣れない硬貨が混じっていた。刻まれた年号は二十年先だった。
基がその硬貨をもう一度入れると、販売機は缶を二本落とした。
隣に、白髪の男が現れた。
五十五歳の基だった。腹回り以外は、たいして変わっていない。
「ブラック取って」
未来の基が言う。
「俺もブラックだ」
「四十七から胃が受けつけなくなる。そっちは甘い方」
二人で缶を開けた。飲み終わるまで、未来の自分はここにいるらしい。
「宝くじ」
「買ってない」
「株」
「損した」
「結婚」
「一回」
「一回って何だ」
未来の基は答えず、熱い缶を手の中で転がした。
「妹に電話した?」
「してない」
「だろうな」
「二十年後も仲悪いのか」
未来の基は一口飲んだ。
「去年、葬式で会った」
基の指が止まる。
「妹の?」
「違う。妹の旦那さん。三年ぶりに話した。向こうも、ずっと電話を待ってた」
「じゃあ仲直りしたんだな」
「二十年遅れで」
未来の基は笑わなかった。
「謝れば済む?」
「済まない。だから謝るんだよ」
基の缶には、まだ半分残っている。飲まなければ未来の自分を引き止められる気がした。
「妹は元気か」
「その質問は、自分で確かめろ」
未来の基は缶を飲み干し、消えた。
販売機の明かりだけが残る。
基は甘い方のコーヒーを一気に飲んだ。胃に重かった。
携帯を出し、妹の番号を押す。
呼び出し音のあと、「何」と不機嫌な声がした。
「誕生日、おめでとう」
「十一分遅い」
「二十年よりいいだろ」
「何それ」
基は販売機にもたれた。
「長くなる。コーヒーでも飲みながら聞いてくれ」
妹は少し黙ってから、「甘いのなら」と言った。