二等客室の設計者

長谷部森彩澄は、港のフェリー乗り場で切符を売っていた。

婚約者の葛西谷悠雅は、それを“船会社の窓口係”と呼び、鳳城院美桜羅と知り合うと露骨に態度を変えた。

「美桜羅さんの家は豪華客船を持っている。彩澄となら二等客室が精いっぱいだ」

美桜羅は白いヨットを背景にした写真を見せた。

「悠雅さんには、世界を回る生活のほうが似合います」

彩澄は婚約指輪を返され、うなずいた。

「新造船の進水式には来るのでしょう?」

悠雅は胸を張った。

「美桜羅さんの会社と取引するため、僕も招待されている」

進水式当日、港には新しい大型フェリーが停泊していた。船内は二等客室まで広く、車椅子用の個室、子どもの静養室、低価格の長期滞在席が備えられている。

命名者として呼ばれたのは彩澄だった。

長谷部森家は、海運、造船、港湾会社を束ねる創業家。彩澄はグループ株式の筆頭保有者で、新造船の基本設計者でもあった。窓口に立っていたのは、二等客室を使う客の不便や、欠航時の説明を自分で知るためだった。自分だけは毎回二等切符を買い、夜行便の椅子で眠って設計を直していた。

船の総事業費は九百億円。就航後の収益から、離島の通院交通費が補助される。

美桜羅は写真を掲げた。

「うちのヨットクラブも、この港で有名です」

港湾会社の責任者が首を振る。

「その船は撮影会社のレンタルです。鳳城院家が所有する船舶はありません」

美桜羅は会員制マリーナの受付アルバイトを“オーナー令嬢”と言い換えていた。顧客のヨットを無断で撮影に使ったため、すでに解雇されていた。

悠雅は彩澄へ言う。

「君が船主なら、なぜ窓口で働く必要がある?」

「一等客室だけ見ていたら、船は島の人の生活にならないから」

船長が彩澄へ真鍮の起動鍵を渡す。彼女が回すと、新造船の汽笛が港へ響いた。

美桜羅の借り物のヨット写真が削除され、彩澄の名が船の設計銘板へ刻まれた瞬間、悠雅が二等客室と見下した女性こそ、九百億円の船と航路を所有する人だと確定した。