保温ポットの赤い線

安積亘生が良治の家へ着くと、鍋の中で玉ねぎが黒くなっていた。

里親だった良治は、退院したばかりだった。肺の手術で長く立てないのに、「スープくらい作れる」と一人で火を使ったらしい。

「作れてない」

「香ばしくする途中だ」

「炭に方向性はない」

亘生は鍋を流しへ移し、新しい玉ねぎを刻んだ。良治は椅子に座り、人参の皮をむく。二人で台所に立つのは、亘生が十八で里親家庭を出て以来だった。

当時、亘生は養子にしてほしいと言えなかった。良治も言わなかった。高校卒業の日、渡されたのは通帳と賃貸契約書だけだった。準備のよさが、追い出す意思に見えた。

野菜を炒め、鶏肉と水を入れる。良治が塩を振ろうとすると、亘生が手首を押さえた。

「まだ」

「味がない」

「煮てから」

「お前、薄味になったな」

「外で暮らせば変わる」

鍋が煮える間、良治は退院後の予定表を見せた。冷蔵庫には薬の時間を書いた紙が貼られ、朝の欄だけ空いている。亘生は赤いペンで服用時刻を書き、横に自分の番号を小さく添えた。通院は週一回、訪問看護は断ったとある。

「断るなよ」

「知らない人を家に入れたくない」

「俺も最初は知らない人だっただろ」

「お前は靴を揃えた」

亘生は笑いそうになり、火を弱めた。初日に靴を揃えたのは、いつでもすぐ出られる向きにしていただけだ。

スープを保温ポットへ移す。赤い線まで入れれば二日分になる。良治が一杯飲み、「塩が足りない」と言う。亘生は胡椒だけを足した。

帰る時間になっても、ポットにはまだ半分残っていた。

「明日の夜までは持たない」と亘生は言った。

「冷蔵庫へ入れる」

「重いだろ」

「片手で持てる」

「傷口開いたら、また焦げた玉ねぎ食わせるぞ」

亘生は食器棚から自分が昔使っていた深皿を出した。欠けもなく残っている。そこへ明日の朝の分をよそい、ラップをかけた。

さらにスマートフォンで訪問看護の番号を登録し、連絡先名を〈良治の家〉にした。以前は名字だけだった。

その夜、亘生は居間のソファへ毛布を運んだ。靴は玄関で揃えたが、つま先は外ではなく、家の奥を向いていた。