凍った井戸縄
北境のノルダ砦では、井戸縄が白く凍っていた。
敵はそれを見れば、水が尽きたと思う。使われる縄なら人の手と井戸水で濡れ、氷は何度も剥がれるからだ。
井戸守エルド・スカリは、夕方から縄を雪へ埋めて凍らせた。砦の井戸には水がある。食料がない。夜明けに攻められれば負けるが、渇きを待たれれば敵は二日動かない。その二日ではなく、今夜一刻だけが必要だった。
降伏交渉に来た敵の斥候長が、真っ先に井戸へ向かった。名はヴァシュ。若い頃、エルドと同じ猟場で狼を追った男だ。
「縄を見せろ」
エルドは桶を下ろさず、凍った束を投げた。
ヴァシュは氷を歯で噛んだ。
「雪の味だ。井戸水ではない」
見破られた。
エルドは肩をすくめた。
「井戸水があれば、縄を雪へ埋める必要がない」
「水があるふりをするためか」
「水がないふりをするためかもしれん」
二人の間にあるのは一本の縄だけだった。ヴァシュが桶を下ろせば答えが出る。答えが出れば、敵は夜襲を選ぶ。
ヴァシュは縄の先を井戸口へ結んだ。
「昔のお前なら、こんな回りくどいことはしなかった」
「昔は守る城がなかった」
「今夜落ちる城だ」
「だから重い」
ヴァシュが桶を求めた。エルドは空の木桶を渡した。底には、わざと小さな穴を開けてある。水を汲んでも、上がるまでに漏れる。
桶が闇へ落ち、しばらくして水音がした。ヴァシュの顔が動く。
縄を引き上げる。重い。だが井戸口へ届く頃、桶は空になった。底から最後の一滴が落ちる。
「浅い水が残っているだけだ」
エルドが先に言った。嘘は相手の結論より少し早く置く。
ヴァシュは濡れた縄を握った。水は確かに冷たい。深さまでは分からない。
「夜明けには降りろ。攻めは二日後にする」
「賢い」
「お前ほどではない」
ヴァシュが去ると、エルドは桶の穴へ木栓を打った。井戸は底まで満ちている。砦兵は水袋を満たし、南の雪道へ並び始めた。
北の敵陣は火を落とし、長い包囲の支度へ入る。
凍った縄を井戸へ投げ戻す音を合図に、ノルダ砦の雪門が開いた。