切り株の年輪
駅前の桜が病気で伐られ、太い切り株だけが残った。
道路整備を担当した若い職員は、住民から何度も責められた。
危険だから必要な伐採だった。
それでも「安全です」と説明するたび、花見の写真を抱く人たちの悲しみが数字へ置き換わる気がした。
造園業者が、年輪翻訳樹脂を少し分けてくれた。
雨の日、樹脂を塗った輪へ指を置くと、その年に木のそばで最も長く続いた音が、一文に訳されるという。
外側の年輪へ触れる。
「車。工事。朝から夕方」
一つ内側。
「子ども、同じ歌、三十七回」
さらに内側。
「箒。落ち葉。ため息」
町の歴史的事件など出てこない。
同じ場所で繰り返された、ありふれた音ばかりだった。
二十年前の輪から、低い声がした。
「帰れない。まだ帰れない」
職員の父の声だった。
父は当時、会社を辞めたことを家族へ言えず、毎日この木の下で夕方まで過ごしたらしい。
職員は子どもで、父が変わらず出勤していると思っていた。
のちに別の仕事を見つけ、家族へは最後までその数か月を話さなかった。
次の輪。
「もう一度、行ってくる」
同じ声だった。
木は父を励ましたわけではない。
ただ、毎日同じため息と、ある朝の一言を聞いていた。
職員は母へその話をした。
母は驚き、すぐに怒った。
「一人で抱え込んで」
父はもう亡くなっている。
今さら叱れないので、二人で切り株の前に座った。
雨が降り、別の輪へ触れる。
「二人。黙る。傘、狭い」
現在の音まで、木は受け取っていた。
職員は切り株を完全に撤去する計画を変えた。
安全のため根は処理する。
ただ幹の一部を乾かし、駅前の長いベンチへ作り替えた。
住民には、木を残したとは言わなかった。
同じ姿ではないからだ。
春、新しく植えた若い桜のそばへベンチを置いた。
花はまだ数輪しか咲かない。
そこへ仕事を失った人、迎えを待つ子ども、買い物帰りの老人が座る。
樹脂は雨で流れ、年輪の声はもう聞こえない。
職員はベンチを通るたび、木が覚えるのは立派な言葉ではなく、何度も繰り返された生活の音だと思う。
伐ったことで失われたものはある。
それでも、次に誰かが「もう一度、行ってくる」と言うまで座れる場所を、同じ木から作ることはできた。