十二時七分の味噌汁
共有オフィスの自席で、音羽は買ってきた塩むすびを開いた。すると運営スタッフが、白いマグに入った味噌汁を机へ置いた。
「カフェは使っていませんけど」
「デスク配送の指定です」
心当たりは、施設責任者の鵠沼、隣席のデザイナー椎名、向かいのプログラマー野々村。鵠沼は利用者の体調に敏感で、椎名は世話好きだ。野々村とは今朝、取引先とのオンライン会議に同席した。
味噌汁は来客用の緑のマグに入っていた。白味噌に生姜を入れた、音羽の故郷の味に近い。電子レシートの発行時刻は十二時七分だった。
十二時七分は、会議で取引先が野々村の話し方を笑い、音羽が「内容に関係のない指摘はやめてください」と遮った時刻だ。
「野々村さん?」
彼女はモニターの陰で肩をすくめた。共有オフィスには、来客用QRコードの余りを一食分の飲み物に替え、席番号だけ指定できる仕組みがある。野々村はそれで味噌汁を頼み、注文者名を空欄にした。
「助けてもらったお礼なら、気にしなくていいのに」
「お礼というより、共犯のしるしです」
野々村は、会議後も手が震えていた。だが音羽が何事もなかったように議題を続けたので、自分も仕事へ戻れたという。真正面から礼を言えば、また守られる側に戻る気がした。だから音羽が以前、実家の味噌汁には生姜を入れると話していたのを思い出し、匿名で一杯だけ送った。
鵠沼はQRの利用を承認し、椎名は味噌汁をこぼさないようマグを選んだ。結局、三人とも少しずつ関わっていた。
フリーランスが集まる場所では、誰もが忙しさを名札のようにつけている。困っていると口にすれば、仕事ができないと思われそうで、助ける側も助けられる側も一歩を測る。音羽が会議で発した言葉は、勇敢というより、聞き流す自分になりたくなかっただけだ。野々村の匿名の一杯は、その一歩を孤立させない返事だった。
音羽は塩むすびを割り、半分を野々村の机へ置いた。
「共犯なら、同じテーブルで食べよう」