十八歳の空白

稲見敦は毎晩、弟の悠生と《こども保管庫》を一件ずつ見る。未成年の記憶は保護者の契約で保存され、十八歳になる日に、保護者が選んだものだけ本人へ移される。家庭の秘密や未熟な判断から子どもを守る。それが制度の規則だった。

悠生は明日、十八歳になる。敦が成人した頃にはこの制度がなく、彼の記憶は自分のものだった。だから兄が証人になり、弟が被害者として思い出せれば、ようやく家を出られると考えていた。

兄弟は半年前から、父の暴力を記録していた。皿が飛んだ夜。母の腕の痣。悠生の首を締めながら「家族なんだから黙れ」と言った声。敦は二十歳を過ぎて家を出たが、高校生の弟を連れ出す金がなかった。記憶が移管されたら、二人で警察へ行くつもりだった。

「これさえ残れば、父さんも言い逃れできない」

悠生はそう言って、再生画面を閉じた。

誕生日の朝、敦は実家近くのコンビニで待った。悠生の端末に移管通知が届く時刻は午前八時。二人で内容を確認し、そのまま警察署へ向かう計画だった。

八時を過ぎても悠生は来ない。

代わりに通知の共有コピーが届いた。

〈保護者による成人移管が完了しました〉

〈全六千二百件中、四千九百十二件を承認〉

〈家庭関係を損なう可能性のある記憶は保護対象として留保されました〉

敦は実家へ走った。

玄関を開けた悠生は、首に薄い痕を残していた。だが表情は穏やかだった。

「警察、行くぞ」

「何の話?」

敦は自分の端末で暴力の記憶を見せようとした。兄の側から保存した映像はある。しかし、被害者本人が内容を認識できない記憶は、第三者の解釈としてしか扱われない。

父が奥から出てきた。

「成人したんだから、兄ちゃんに迷惑かけるな」

悠生はうつむき、「ごめん」と言った。その謝り方まで父に似ていた。

敦の端末に、最後の判定が表示された。

〈本人は被害を記憶していません〉

〈緊急保護の要件を満たしません〉

父は悠生の肩へ手を置いた。弟は振り払わなかった。

敦だけが、弟の恐怖を覚えていた。だから制度上、怖がっているのは敦一人だった。