午前二時の給水音

午前二時になると、八〇五号室の洗濯機が回り始めた。

古い業務用機で、脱水のたび床が揺れ、下階の照明が震えた。住人の三日月野穂香が時間を変えてほしいと頼むと、八〇五号室の火遠理谷顕嗣は洗濯籠を抱えて笑った。

「昼は仕事なんだよ。無職の人と生活時間が違う。音が嫌なら耳栓しろ」

顕嗣は自宅で洗濯代行を請け負い、一晩に何十枚ものシーツを回していた。

大家から二度注意されると、洗濯機の下へ薄いマットを敷き、対策済みと報告した。

その週、給水ホースが外れた。

水は廊下へ流れ、下階三部屋の天井と壁を濡らした。穂香の部屋では、机と書類が使えなくなった。

顕嗣は管理会社へ言った。

「設備の老朽化だ。備え付けの蛇口が悪い。俺も商品を濡らされた被害者だよ」

配管業者が確認すると、蛇口は正常だった。顕嗣が業務用洗濯機へ合わない自作分岐金具を取り付け、給水圧を上げていた。外れたホースにも、規格外の固定具が残っている。

管理会社はスマート水道メーターの記録を開いた。

八〇五号室の使用量は一般家庭の九倍。毎晩一時五十五分から四時まで、同じ周期で大量の給水が続いている。廊下カメラには、顕嗣がホテル名入りのシーツを何台車分も運び込む姿が映っていた。

「友人の洗濯を手伝っただけだ」

顕嗣が言うと、宅配アプリの事業ページが示された。〈二十四時間稼働の認可済みランドリー〉と掲載し、月百件以上の注文を取っている。

大家は、住居の無断事業利用、深夜騒音、設備の無断改造、重大な漏水事故を理由に契約解除を通知した。保険会社も、故意に近い規格外改造として、修繕費を顕嗣へ求償する可能性があると説明した。

顕嗣は穂香へ言った。

「仕事を失えば払えない。苦情を取り下げてくれれば、夜は一回だけにする」

穂香は、水に濡れて文字が滲んだ資格試験の答案を見せた。

「私の夜は、もう十分壊されました」

洗濯代行ページが営業停止となり、大家が明渡日を確定する。

午前二時、水道メーターが初めて動かなかった瞬間、眠れなかった三部屋に静けさが戻り、顕嗣の仕事場と住居だけが同時に止まった。