受け取らない合鍵

国見弥生の引き出しには、自分のものではない鍵が三本あった。

旅行中の水やり、残業日の荷物受け取り、猫の餌。友人に頼まれると、弥生は鍵を預かった。

一度、仕事が長引いて餌の時間に遅れたことがある。猫は無事だったが、弥生は電車の中で何度も時計を更新し、自分を責めた。友人には遅れを言わず、翌朝早く行くことで埋め合わせた。頼みを受けた瞬間から、失敗する未来まで一人で抱えていた。信頼されている証拠だと思う一方、予定が近づくたび、忘れてはいけない責任が胸の隅で鳴り続けた。

木曜の夜、友人と喫茶店で会った。友人は来週から五日間出張するという。

「またミントのご飯、お願いしていい?」

テーブルの上へ銀色の合鍵が置かれた。猫のミントは好きだ。以前世話をしたときは、仕事帰りに電車を二駅乗り越し、朝も早く家を出た。五日間くらいならできる、と弥生は考えた。

手を伸ばすと、鍵が照明を細く反射した。

来週は弥生自身も繁忙期で、帰宅が遅い。断れば友人が困る。ペットホテルは高いし、知らない人より弥生のほうが猫も安心する。

「今度は預かれない」

伸ばした手を、カップへ戻した。

友人は「そっか」と鍵を見た。弥生はすぐに理由を並べたくなった。残業予定、睡眠不足、前回の交通費。正当性を証明すれば嫌われずに済む。

けれど「来週、余裕がないから」とだけ言った。

友人はスマートフォンを出し、近所のシッターを検索した。料金を見て小さく息をついたが、弥生を責めなかった。二人はそのあと、猫の写真を一枚だけ見た。

弥生は評判のよいシッターを代わりに選びそうになり、検索画面から目を離した。依頼先を決めるところまで背負えば、鍵を受け取らないだけで同じ役目が残ってしまう。

店を出るとき、弥生は忘れ物がないか鞄を確かめた。引き出しの鍵がまた増えている気がしたからだ。

掌を開く。何もない。

誰かの部屋へ入れる印を持たずに帰ることが、信頼を捨てることにはならない。弥生は空いた手で、自分の家の鍵だけを握った。