右ページの天気
父が倒れた年、私は美術大学を辞退して家の青果店を継いだ。
後悔していない、と言うたび、その言葉は少しずつ硬くなった。
野菜の値札を書く手を褒められても、本当に描きたかったものではないと思った。
四十歳の誕生日、昔の日記を開いた。
左ページには当時の私の文章があり、右ページには、選ばなかった日の天気が勝手に書かれ始めた。
「晴れ。卒業制作が売れた」
「雨。個展に客が三人」
「曇り。父の手術を電話で知る」
右ページの私は大学へ進み、画家になっていた。
読み進めるほど、羨ましさと痛みが交互に来た。
海外の展覧会、賞の候補、広いアトリエ。
一方で、父の最期には飛行機が欠航し、間に合わなかった。青果店は閉まり、商店街の七夕飾りも途絶えていた。
ある日の記述に、写真が挟まっていた。
向こうの私が描いた大きな市場の絵だ。赤いトマト、濡れた大根、父の曲がった背中。記憶だけで描いたらしく、店の看板の字が間違っていた。
絵の裏には、
「本物の色を、もっと見ておけばよかった」
とある。
私は店先へ出た。
夕立のあとで、茄子は濃い紫に光り、桃の産毛には水滴が並んでいた。毎日見ていたのに、値段と傷しか見ていなかった。
日記の右ページに、初めてこちらから書き込んだ。
「今日は、オクラの切り口が星だった」
文字はすぐ消えた。
代わりに向こうの天気の下へ、小さな星形が描かれた。
翌月、商店街から空き壁の塗装を頼まれた。
私は青果店の仕事があるからと断りかけ、父の古い脚立を持ち出した。
壁いっぱいに市場の朝を描いた。魚屋の氷、豆腐屋の湯気、八百屋の父。上手にまとめず、値札の癖までそのまま残した。
完成の日、常連客が「このトマト、うちのより高そう」と笑った。
私は翌朝、本物のトマトを絵の下へ並べた。
日記の右ページは、やがて何も書かなくなった。
左ページには、仕入れ値と天気に混じって、毎日一つだけ色を書くようにした。
白菜の芯の黄色。夕方の段ボールの茶色。父の前掛けに残った緑。
画家にならなかった人生にも、描くものはあふれていた。
ただ私は長いあいだ、それを作品と呼ぶ許可を、別の世界から待っていたのだ。