四十日目の卒業
絃が転校してきたのは、卒業式まで四十日しかない冬だった。
教室にはすでに三年分の関係ができあがっていた。呼び方、席替えの因縁、購買パンの順番、先生の物まね。絃はどれも知らなかった。
「すぐ卒業するし、覚えなくていいよ」
自己紹介のあと、そう言った。
隣の席の美那は、なぜかそれを聞かなかったことにした。
一日目、昼休みに校舎を一周した。二日目、階段の三段目だけ音が鳴ることを教えられた。三日目、図書室の窓から富士山が見えるのは冬だけだと知った。
十日目には、購買の焼きそばパンを買う列で前へ押し出された。二十日目には、体育のバドミントンで本気のスマッシュを顔面に受けた。三十日目には、クラスの寄せ書き係に勝手に加えられた。
「どうしてそんなに構うの」と絃が訊くと、美那は言った。
「四十日しかないから、四十個は覚えて帰って」
卒業式の日、絃の名前は五十音順の最後に近かった。
担任が「水原絃」と呼ぶ。
立ち上がった瞬間、教室で過ごした日数の少なさが急に怖くなった。自分だけ拍手が短かったらどうしよう。保護者席にも、在校生席にも、絃を知る人はほとんどいない。
壇上へ歩き始めると、後ろから一つ、やけに大きな拍手が聞こえた。
美那だった。
それにつられてクラス全員の音がそろい、体育館に響いた。四十日分とは思えないほど長く、うるさい拍手だった。
式後、教室の黒板には卒業生全員の名前が書かれていた。絃の名前も同じ大きさで、同じ色で並んでいる。
美那が寄せ書き用の白い布を差し出した。
「最後、空いてるよ」
「何て書けばいい?」
「転校生らしいこと」
「思いつかない」
「じゃあ同級生らしいこと」
絃はペンを持ち、迷った末に書いた。
――四十日目。遅刻せず卒業。
周りが笑った。絃も笑った。
校門を出るとき、美那が指を折って数え始めた。
「一、鳴る階段。二、富士山。三、焼きそばパン……」
「全部覚えてる」
「四十個ある?」
「四十一個」
絃は胸の花を指した。
「今日の拍手」
美那は一度だけ目を伏せ、それから四十二個目になる笑顔を見せた。