図書塔から消えた命令
王立図書塔の創立祭で、三冊の古写本が国外競売へ出たと報告された。
カルヴェール王子は、書庫鍵を預かるマティルシェ・リヴァンヌへ断罪を向ける。
「本を売り、学術基金を私物化したな。知を食い物にする女との婚約を破棄する」
マティルシェは鍵を胸元から外したが、床へは落とさなかった。塔で十年守った本を、噂の餌にされるほうが耐え難い。
三冊は、疫病を止めた薬草記録、失われた水路図、隣国との最初の和平文書だった。値段をつけること自体が侮辱に近い。カルヴェールは以前から、読めない古文書を眠らせるより売って軍船を買うべきだと言っていた。
彼女が反対すると、王妃候補のくせに国益が分からないと笑われた。今夜はその売却を彼女の私欲に変え、学者の怒りまで処刑の道具にしようとしている。マティルシェは鍵を握り、言葉ではなく塔の契約に語らせた。
「古写本を塔外へ出す命令は、どこへ記録されますか」
「君の帳簿だろう」
「第十三条です」
王立司書長テオフィルが、図書塔寄贈契約を兼ねる婚約契約を開いた。第十三条には、写本の移動命令が発せられるたび、その全文を原本へ写す仕組みが定められている。
頁に墨が湧いた。
『古写本三冊を西方競売所へ移送せよ。命令者、カルヴェール』
王子は書名まで自筆で指定していた。
移送先も価格も、彼が以前から軍船商人と相談していた内容そのものだった。写本を持ち出せる鍵は、最初から命令書のほうにあった。
「外交上の取引だ! 君には理解できない」
「理解できない女へ、横領罪だけは理解させようとなさったのですね」
会場の学者たちが一斉に王子から離れた。
カルヴェールは声を落とし、婚約を維持すれば本は買い戻す、塔の地位も守る、と提案した。
マティルシェは鍵と指輪を見比べ、指輪だけを契約書へ置いた。
「塔の鍵は守ります。あなたとの約束は守る価値を失いました」
元婚約者に背を向ける。テオフィルが螺旋階段の下で手を差し出した。マティルシェは本の匂いが残る未来へ、その手を取った。