図書館の最後の索引

「魔力ゼロ。本を開けば文字が逃げ出すぞ」

司書試験官は、茅野杏へ埃取りの布だけを渡した。

杏が転生した王立図書館では、蔵書に触れるにも魔力資格が必要だった。前世で索引編集者だった彼女は、読めない古語を整理する能力を買われるどころか、地下書庫の掃除へ回された。

正午、棚の隙間から黒い点があふれた。

文字喰い虫。紙魚に似た低級魔物で、触れた文字を白紙にする。数千匹の群れは古文書を食いながら上階へ進み、司書たちは火を使えず立ち尽くした。

杏は消された頁を見た。

虫は無作為に食べていない。王朝史の「継承」、魔法書の「封印」、神話集の「門」という語だけを選んでいる。三つをつなげれば、地下最奥に封じられた禁書の鍵になる。

棚の上で虫たちが集まり、人の背丈ほどの黒い司書へ変わった。禁書から生まれた上位の頁魔。低級種を使い、世界から封印の記述そのものを消そうとしていた。

試験官が絶版の本を盾にした。

杏はその本をそっと下ろし、目録台の前へ座る。

「載っていないものは、図書館には置けません」

彼女は《万象索引》を一度だけ開いた。

空中に、世界の目録が現れる。

人、物、魔法、記憶。無数の項目が光の文字となって並び、その中に「王立図書館へ害意を持つ存在」という一行があった。杏が指で索引番号を閉じると、文字喰い虫は一斉に句点へ変わり、頁の末尾へ吸い込まれた。

黒い司書も、最後の一文字まで薄くなって消える。食われた文章は元へ戻り、失われたはずの初代王の日記まで棚に再出現した。

蔵書数を数える天球儀が回転を加速させ、数字を表示しきれず真二つに割れた。

大司書リュシアンが、閲覧王座から立ち上がった。生涯で本を迎えるとき以外は立たない人物だった。

「世界を一冊として索引したのですね」

試験官の手から埃取り布が落ちる。

大司書は禁書庫の鍵束を杏へ差し出した。館内の司書たちは反対しない。むしろ全員が閲覧机から立ち、彼女が最初にどの扉を開くのかを待った。

地下書庫の札が、掃除中から書き換わる。

――新任大目録官、入室中。

静かな図書館で、その文字だけが喝采のように輝いていた。