在宅勤務のドア

凪子が会議で発言しようとした瞬間、部屋のドアが開いた。

「おじいちゃん、薬の時間だから」

母が錠剤の袋を差し出す。凪子の画面には取引先の顔が並び、マイクはオンのままだった。

「今、仕事中」

声を落として言うと、母は「家にいるんでしょう」と返した。

祖父が退院してから、凪子は実家の元子ども部屋で在宅勤務をしている。机は昔のままで、ドアには母が書いた〈なぎちゃんのお部屋〉の札が残っていた。その札のせいか、閉めてもノックされない。

凪子が昼食を取るため下りると、母は「今ならできるでしょう」と用事を三つ並べた。休憩時間は、家族にとって空白の当番表だった。 その空白にも、凪子には休む予定があった。凪子は食べながら薬を分け、午後の会議へ五分遅れたこともある。

会議を終えた凪子は、母と一度だけ話すため、台所へ下りた。

「九時から六時までは、私は家にいないのと同じにして」

「でも薬くらい、一分で済むでしょう」

「一分の頼みが何回あるか、今日数えた。薬、トイレ、宅配、昼食で十一回」

母は疲れた顔で椅子へ座った。「私だってずっと見ていられない」

「だから私と交代するんじゃなく、デイサービスと服薬支援を増やそう」

凪子はケアマネジャーから届いた変更案を見せた。週二回のデイ利用、薬局の一包化、昼の見守り。費用と開始日を二人で確認する。

翌朝、凪子は古い札を外し、白い紙へ〈勤務中・緊急時は電話〉と印刷して貼った。ドアの内側には簡易の鍵もつけた。

十時すぎ、廊下に母の足音が止まった。ノックはなかった。代わりに端末へ一通届く。

母 お昼の薬、薬局の人が来てくれました

凪子は休憩時間になってから、〈確認したよ〉と返した。

仕事が終わり、六時にドアを開ける。母は祖父とテレビを見ていた。凪子は台所で三人分の茶を淹れた。勤務時間の外だから、自分で選んでしたことだった。

〈なぎちゃんのお部屋〉の札は机の引き出しへしまった。家族でいる時間と、働く時間の間に、閉めてよいドアがようやく一枚できた。