地図に残った複写痕

国境会議の晩餐で、敵国へ渡った要塞地図が公開された。

「原本を管理していたのは君だけだ」

 キリオス王弟は、婚約者へ複製地図を投げつける。

「カシアーナ・レイグ。国家機密を売った罪により婚約を破棄する」

 機密漏洩なら、まず書庫を封鎖し、閲覧者を調べる。それが王国の規則だった。だがキリオスは調査より先に夜会を開き、敵国の複製を客へ見せ、彼女の罪だけを完成させている。カシアーナは十年、古文書の虫食い一つまで記録してきた。紙が沈黙していると思う者ほど、記録の前では不用意になる。

 カシアーナは複製ではなく、王弟が抱える原本を見た。敵国の紙を調べる必要はない。誰が持ち出したかを追えば、偽物を掴まされる。原本に残る一度の事実こそ、彼女が管理者として信じるものだった。秘密地図には、写した者を記録する複写痕魔法が施されている。導入を反対したのは、目の前の彼だった。

「王立書庫長クィリオン。原本を卓上へ」

 クィリオンは王弟の手から地図を受け取り、彼女の前へ広げた。弁護はしない。証拠を読む権限だけを、本来の管理者へ返す。

 カシアーナが地図の隅へ爪を当てると、紙の上に淡い手形が浮かんだ。複写のたびに原本が記憶する、術者の魔力指紋である。

 手形は一つだけ。右手の薬指に王家の印章輪があり、その輪の内側には「K」の古代文字が光っていた。

 キリオスの手が、とっさに背中へ隠れる。

「国境の反応を測るため、敵へ偽図を流しただけだ」

「でしたら、なぜ本物の原本から写したのです」

 答えはない。彼はやがて、君の管理責任も問われる、婚約を戻せば私が庇えると声を潜めた。

「罪を作った方の庇護ほど、危険なものはありません」

 カシアーナは複製地図で婚約指輪を包み、王弟へ返す。

「破棄を受諾します。国境を売った方の隣で、国を守るふりはいたしません」

 元婚約者に背を向けると、クィリオンが王立書庫の監察官席へ導く手を差し出した。彼女は記録を守る未来を選び、その手を取った。