夕暮れの証人席
東雲詩歩は、担任に呼ばれるまで教室から動くなと言われていた。
数学の小テスト中、机に公式が書かれているのを見つかった。自分の字ではないと訴えても、席は詩歩のものだ。先生は職員室で学年主任を待ち、教室にはもう一人、秋庭絃だけが残っていた。
絃は窓際で鞄を持ったまま立っている。
「帰れば」
「鍵、閉める係だから」
「先生が戻る」
「うん」
机の端には、薄いシャープペンシルで二次方程式の公式が書かれていた。夕日が斜めに当たり、筆圧の溝まで見える。
詩歩は消しゴムを押しつけた。
「消すと証拠隠滅になるかな」
「なるかも」
「じゃあ写真撮って」
絃はスマートフォンを出したが、撮らない。
「何」
「これ、昨日見た」
「誰が書いたか?」
絃は黙った。その沈黙だけで答えは分かった。
前日の放課後、別の生徒がこの席で追試の勉強をしていた。詩歩は今日、席替えでここへ移ったばかりだ。絃は書いているところを見たが、告げ口だと思われるのが嫌で何も言わなかったという。
「先生に言って」
「本人、わざとじゃないと思う。消し忘れただけで」
「私はわざとカンニングしたことになる」
「でも、言ったらあいつが――」
「じゃあ私が悪いことにする?」
声が教室に響いた。絃は目を伏せた。
夕暮れの机は、裁判の証言台みたいだった。誰かを守れば、別の誰かが傷つく。黙っていれば、自分だけは嫌われない。
絃はようやくスマートフォンで写真を撮った。
「俺が言う」
「本当に?」
「見たことだけ。あとは先生が決める」
詩歩は消しゴムを机に置いた。
「嫌われるかもよ」
「東雲にも、もう嫌われたし」
「まだ保留」
「厳しい」
少しだけ空気が緩んだ。
担任の足音が廊下から近づく。絃は帰るどころか、詩歩の隣の席へ座った。
「そこ、証人席?」
「たぶん」
戸が開く直前、詩歩は机の公式の下へ小さく書いた。
――答えより、途中式。
先生に見つかればまた怒られる。それでも、何を選んだか残しておきたかった。
絃はその文字を見て、今度は黙らなかった。