封蝋は切れていない
薬袋恭一郎は、封印された書斎から消えた。
古書蒐集家の薬袋は、盗品売買の帳簿を持っていると疑われていた。雪の午後、姪の目黒川千佳、顧問弁護士の檜垣倫太、執事の青砥源蔵を前に、「一時間後に帳簿を渡す」と宣言して書斎へ入った。檜垣が外から鍵を掛け、扉の掛け金側に紙帯を貼り、中央へ家紋の封蝋を押した。
三人は廊下で待った。途中、目黒川と檜垣が警察からの電話を受けるため階段脇へ移り、青砥だけが三分ほど扉前に残った。戻った二人が見た封蝋は無傷で、鍵も檜垣の手にあったため、その三分を誰も重く考えなかった。窓には鉄格子、暖炉には細い煙道しかない。きっかり一時間後、紙帯を切って開けると、帳簿だけが机上にあり、薬袋はいなかった。封蝋も紙帯も、それまで一度も破れていない。
目黒川は暖炉を疑い、檜垣は天井裏を調べた。どちらも人は通れない。
私は扉の周囲から三点だけを選んだ。
第一に、この古い扉は蝶番が廊下側にあり、三本の蝶番ピンの頭だけが不自然に磨かれていた。
第二に、扉の蝶番側の絨毯には、半月形の新しい擦り跡が残っていた。
第三に、紙帯と封蝋が固定していたのは掛け金側だけで、蝶番側の戸縁には何も渡されていなかった。
青砥の視線が床へ落ちた。
「掛け金が施錠されているのに、扉を外せるのですか」
「蝶番ピンを抜き、掛け金側を支点にして扉の反対端だけを廊下へ引けばいい。紙帯のある側はほとんど動かない。人が通る幅を作ったあと、扉を戻してピンを差せば、封蝋は切れません」
半月の擦り跡は、扉の端が弧を描いた跡だった。磨かれたピンは抜き差しされ、封印の偏りが方法を許した。青砥が二人の不在中にピンを抜き、薬袋を使用人階段へ逃がしたのである。
檜垣は無傷の封蝋を見つめた。
私は紙帯の切れ端を机へ置いた。
「封印は嘘をついていません。誰も掛け金側を開けなかった。ただ、私たちが扉だと思っていた板を、蝶番から外しただけです」