左足の退部届
放課後、釆女紬季の上履きが片方なくなった。
部活へ急ぐ時間だった。右はある。左だけ、下駄箱の奥にも床にもない。
「誰か間違えたんじゃない」
同じバレーボール部の友人が言った。
「左右で間違える人いる?」
「片足だけ急いでたとか」
「そんな人と一緒に練習したくない」
紬季は靴下の左足を浮かせたまま、廊下を探した。教室、階段、体育館前。友人はなぜかずっとついてくる。
「先に行って」
「一人で片足跳び、危ない」
「歩ける」
「靴下汚れる」
「もう汚れた」
体育館から集合の笛が鳴った。
紬季は焦っていた。
今日、顧問に退部届を出すつもりだった。練習前に渡せば、みんなの顔を見ずに帰れる。鞄の内ポケットに入れた紙が、歩くたび腿へ当たる。
友人が旧校舎の階段へ曲がった。
「そっち探した?」
「行ってない」
「じゃあないでしょ」
「犯人は遠くへ隠す」
その言い方で、紬季は立ち止まった。
「隠したの、あんた?」
友人は答えず、階段を上がる。
最上段の窓辺に、紬季の左の上履きが置かれていた。
「何で」
「退部届、見た」
「勝手に鞄見た?」
「ボール用のテープ探してた」
「だから靴隠した?」
「練習前に帰ると思ったから」
「帰るよ」
「話してから」
紬季は上履きを履いた。
今すぐ階段を下りることもできた。友人は邪魔をしなかった。ただ窓の外を見ている。
「私、試合でまたミスする」
「私もする」
「私は怖くて、ボール来ないでって思ってる」
「知ってる」
「知ってたの?」
「レシーブの前、目閉じるから」
「じゃあ何で止めるの」
「怖いまま一緒にいた人が、何も言わずにいなくなるほうが怖い」
体育館の笛が二度目に鳴った。
紬季は退部届を取り出した。
友人に渡す。
「破って」
「いいの?」
「今日は」
「明日は?」
「明日の放課後、また考える」
友人は紙を縦に裂いた。さらに横へ裂き、四枚になった紙を紬季の両方の上履きへ一枚ずつ入れた。
「何するの」
「帰るまで忘れないように」
「痛い」
「明日も考えるんでしょ」
二人で体育館へ走った。
紬季はその後も何度か辞めたいと思った。
けれど靴の中で紙が足裏に当たったあの練習だけは、ボールが来るたび目を開けていた。
片方を隠された上履きより、自分の怖さを先に見つけられていたことが、悔しくて、少しうれしかった。