幽霊が見えすぎる司祭の薄明粉
司祭セドリックは、誰もいない椅子へ「少し詰めてください」と言ってから座った。
薬屋《宵の瓶》の店主フィオナには空席にしか見えない。
「幽霊が多すぎるのです」
彼には生まれつき死者が見えた。以前は一日に数人だったが、古戦場の礼拝堂を任されてから、朝も夜も数百人が押し寄せる。眠ると枕元で全員が同時に話す。
「見えなくなる薬をください。今夜一晩でいい。眠らなければ、明日の葬儀で倒れます」
葬儀の主役は、古戦場で最後に見つかった名もない兵士だった。途中で倒れれば、その一人さえ送り出せない。
フィオナは灰紫色の粉を、小さな紙包みに入れた。
「薄明粉です。幽霊を消すのではなく、あなたに用がある死者だけを残します」
「一人も残らない保証は?」
「ありません」
「眠りたいのですが」
「本当に用のある相手まで消す薬は、私は売りません」
セドリックは不満そうだったが、目の下の隈には選ぶ余裕がなかった。
粉を瞼へ薄く塗る。
すると彼の視線が、店の天井、棚の隙間、窓辺を忙しく追った。次々に何かが消えているらしい。最後には、向かいの空席だけを見つめた。肩を押し合っていた無数の気配がほどけ、蝋燭の炎もまっすぐ立つ。
「まだ一人います」
「何と言っています?」
司祭の顔から、疲労とは違う色が抜けた。
「母です。十年前に亡くなった。ずっと周りの声に埋もれて、気づかなかった」
空席へ向けて、彼は長く黙った。
やがて一度だけ頷く。
「父の指輪は、礼拝堂の床下だそうです。探していたんです」
それきり、空席からも気配が消えたらしい。
セドリックは椅子の背へ体を預けた。静かな店内で、初めて深く息を吐く。
「これなら眠れます」
「粉は夜明けまで。明日はまた見えます」
「構いません。選んで聞けると分かっただけで、十分です」
彼は銀貨を置き、紙包みを大切に懐へ入れた。
「礼拝堂の司祭たちにも必要かもしれません。効果を報告してから、正式に注文します」
扉が閉まり、フィオナは空席を片づけようとした。
そのとき、誰も触れていない鈴が鳴った。
ちりん。
戸口には誰も見えない。
フィオナは薄明粉を自分の瞼へ塗り、そこに立つ次の客へ向き直った。