手のひら一つ分の夏

雪の夜に一度だけ開く市場で、タミルは夏を売る店へ入った。棚には陽だまりを固めた煉瓦、蝉時雨の袋、真昼の熱を閉じ込めた壺が並んでいる。

求めたのは、手のひらほどの小瓶だった。

「この夏なら、一人の身体を朝まで温められる」

店主は瓶を灯りに透かした。中で金色の光が揺れた。

「代金は、あなたが覚えている誰かの触れ方を一つ。最も温かい記憶ほど、よく効く」

ユーデンは宿の二階で眠っている。雪崩から戻ったあと、火のそばでも身体が冷え続けた。医師は朝まで持たないと言った。

タミルが思い浮かべた触れ方は、彼の手だった。

初めて一緒に市場へ行った日、人波ではぐれないように握られた。恋人になる前で、指を絡める理由もなかったから、彼は手首を掴んだ。乱暴なようで、親指だけが何度も脈を確かめるように動いた。

その感触を、タミルは六年覚えていた。喧嘩をした夜も、結婚を断られた朝も、あの親指を思い出せば、彼が自分を大切にした瞬間は嘘ではないと思えた。

断ったのはユーデンだった。山を歩く仕事をやめられず、待たせる約束はしたくないと言った。それでも二人は離れきれず、会えば同じ卓を囲んだ。今夜も、雪崩の知らせを聞いて最初に駆けつけたのはタミルだった。

「別の触れ方にします」

母が髪を結った指。弟を抱いた重み。友人に背中を叩かれた感触。

店主は首を振った。

「その瓶が必要とする温度には足りない」

タミルは笑った。市場まで走る途中、ずっと分かっていた。差し出すものが何か分からないふりをしていただけだ。

「払ったら、彼に触れられても何も感じない?」

「今の温度は感じる。失うのは、あのときの手があなたにとって何だったかだ」

それは残酷で、少しだけ優しかった。これから触れ直す余地は残る。

タミルは小瓶を両手で包み、六年前の雑踏を思い出した。手首を掴む指。驚いて見上げた横顔。離されたあとも残った、輪のような熱。

「これを」

店主が瓶の口を開ける。

記憶の中の親指が一度動き、金色の光へ溶けた。掌から夏が消える。

代わりに小瓶が、火傷しそうなほど熱くなった。